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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区東葛西2-34-20

 旧名茂呂神社といい、旧長島村の鎮守でした。別当の自性院が文久年間(1861~1864)に火災にあい、古記録を消失したので詳細は不明ですが、400年以前の古社といわれています。祭神は経津主命で下総の香取神宮から分神されたものです。本殿と拝殿の彫刻は手のこんだ立派なものです。
 拝殿の東側にある八雲神社はもと同村の西部地区に祀られていましたが、昭和26年(1951)にここに移されました。
 境内には大正元年(1912)に建立された「乾海苔創業記念碑」があります。



長島の富士塚(区登録有形民俗文化財)
 富士信仰の一形式として富士山を模した富士塚を礼拝するものがあります。区内には10基あまり残っており、本殿の北にあるものもその1つです。なお、この近くの桑川神社にも昭和4年(1929)に築造された「桑川の富士塚」(区登録有形民俗文化財)があります。
 平成6年(1994)3月 江戸川区教育委員会



 境内には『乾海苔創業記念碑』、『長島の富士塚』、『長島之碑』、『諏訪神社』、『八雲神社』があります。


 葛西蓮根
 かつてこの地帯は、お盆の頃となると見渡す限りの蓮の葉に覆われるほど、蓮根栽培が盛んで、「葛西蓮根」の名は関西や東北市場にまで知れわたり、当神社が建っている大字長島はその中心地でした。
 当地の蓮根は、江戸中期からわずかに作られていたようですが、命じ中頃に田中徳右衛門が優良系統の試作に成功して以来、稲作より蓮根のほうが各段に儲かるとあって、栽培が急速に広まり、昭和40年代まで営々と続いてきました。
 当地は江戸川や荒川が運んできた肥えた土と、深い田が多く、しかも、大都市に近いため、肥料として東京市中からでる下肥(人糞尿)が入手しやすかったので肥料を大量に必要とする蓮根栽培にぴったりでした。まさに都市と農村を結ぶ見事なリサイクルであったわけです。
 柔らかくて歯切れのよい葛西蓮根独特の風味は、見通しがきく縁起物ということもあって、市民に長く愛好されてきました。
 平成9年度JA東京グループ
 農業協同組合法施行50周年記念事業
 江戸川区農業協同組合


 THE AGRICULTURE OF EDO&TOKYO Kasai Renkon
 This region used to be a big production area of Renkon(lotus root).In summer,the land was covered all over with dense carpet of lotus foliage as far as it could be seen.The locality Nagashima where this shrine stands was an area of most intensive cultibation.Renowned as Kasai Renkon',it was shipped as far as Kansai or Tohoku markets.
 There was a few of Renkon culture in 1750s. However,since Tokuemon Tanaka succeeded in screening anaexcellent strain of lotus around 1890,paddy rice changed over rapidly to the more profitable lotus and the cultivation was maintained successively over years until around 1965.
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