東京都江戸川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江戸川区東瑞江1-18 史跡 豊田神社 旧下鎌田村の鎮守である。 創建は不詳であるが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と経津主命(ふつぬしのみこと)をまつり、もと神明社といった。明治のしょきに同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。 この神社は五穀豊穣の神として、近隣の人達にあがめられていた。その名残として、今でも9月27日には氏子達によって、感謝の祭りが行われている。 境内には、5本の大きな欅の木がある。なかでも御神木になっている欅は、樹齢2百年ともいわれ(幹の経150センチメートル、樹高23メートル)御神木にふさわしい樹形をなしている。昔はこの神木のそばに池があったというが今はその面影がない。 昭和52年(1977)7月 江戸川区教育委員会 境内には『下鎌田の富士塚』、『豊田神社の社叢』があります。 PR 所在地 江戸川区東瑞江2-39 江戸川区登録有形文化財 地蔵堂の庚申塔 本地蔵堂内に安置されている観音庚申塔は享保5年(1720)旧下鎌田村の念仏講中35名のものが、秩父34箇所の観音巡拝の記念として造立したもので、碑高119、幅50、厚さ30、台座の高さ28、横幅66、奥行55(単位センチメートル)におよぶ大型の庚申塔である。 本塔の特徴は、観音像34体が碑面一ぱいに刻まれている点で、7段にかけて、最上部に立像4体、二段目からは座像と立像が交互に5体ずる刻まれ、最下部には三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)が彫られ、両側には脇侍の童子が向き合っているものである。こうした形式のものは、本区内になく、また都内でも珍しい特異のものである。 昭和52年(1977)7月 江戸川区教育委員会 所在地 江戸川区東瑞江2-45 史跡 道祖神 古くは祭神として、八衢比古(やちまたひこ)の神、八衢比売(やちまたひめ)の神を祀ったものであるが、後には「どうろくじん」などと呼ばれ、庚申と混同されるようになった。初めは道のほとりや、村境に建立されたと思われるが、現在はお堂や、お宮の中に祀られているものが多い。 この神は所によっては「さえの神」ともいわれ、性的神や男女和合縁結びの神とされたりしたが、一般には悪魔の侵入を防ぎ、災いを追い払い、病気をなおす神として崇められ、はたまた、道を守る神という考えから、旅行の安全を祈願する信仰に変わっていった。 当道祖神の建立年月は不詳であるが、この辺の人たちの、深い信仰を集めていた神といわれ、屋号を「どうろくじん」と呼ばれる内山家が、大切に保存してきたものである。 平成19年(2007)3月 江戸川区教育委員会 内山家 所在地 江戸川区東瑞江1-18 (豊田神社) 江戸川区登録有形文化財(民俗資料) 下鎌田の富士塚 富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。実際に富士山に登拝することの出来なかった人たちも、この富士塚を参拝すれば富士山に登ったと同じ霊験があると信じました。 この下鎌田の富士塚は、大正5年(1916)、旧下鎌田村の下鎌田割菱八行講の人々によって築造されたと伝えられています。高さ約3メートルで、全石ボク石(溶岩)でおおわれ、正面には「ぐ」の字形の登山道がつくられ、中腹に石祠が祀られています。 塚の背面は大沢崩れを模したような所があり、また中腹左には小御嶽神社の石祠があります。 下鎌田割菱八行講は現在も盛んに活動し、7月1日の山開き、8月28日の火祭り、毎月の月並み祭りを行っています。 昭和60年(1985)3月 江戸川区教育委員会 |
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永山
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