東京都江戸川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江戸川区鹿骨4-9-17 鹿島神社 創建 奈良時代推定考察1200有余年前 御神徳 家内安全・攘災招福・身体健全・殖産・縁結・心願成就 御本殿(神明造) 明治14年(1881)12月造営 拝殿 大正8年(1919)造営 明治維新までは五社神明社あるいは五社神社といわれて、旧鹿骨村の鎮守であった。社殿は寛文6年(1666)に改築せられて円勝院が別当をつとめた。明治5年(1872)11月に社格を村社に列せられた古社である。 神楽殿 昭和37年(1962)造営 これは本村の草分けとなった石井長勝・田島・中代・牧野・別系石井姓の五氏が入植したとき、それぞれの氏神を合祀して建てたもの伝えられている。また村の口碑によると、昔常陸の国鹿島郡の鹿島大神が、大和国奈良の春日へお移りになる途中、大神のお供をしていた神鹿が急病でたおれたので、村人たちがていねいに葬って祀ったのが鹿見塚で、村人たちはこれを奇縁として、武甕槌命の分神と天照大御神ほか三神を勧請して一社を建立し、鹿島神社と名づけたともいわれている。 平成19年(2007)3月 江戸川区教育委員会 摂社(三社称)日枝神社 昭和63年(1988)2月造営 須賀神社 昭和63年(1988)2月造営 胡録神社 昭和63年(1988)2月造営 末社 稲荷社 昭和44年(1969)2月造営 水神社 昭和初期 不詳 宝蔵庫 平成13年(2001)10月完成 大鳥居(神明鳥居) 明治26年(1893)1月建立 御神燈 二基 明治9年(1876)2月奉納 狛犬 壱対 明治29年(1896)2月奉納 御手洗鉢(浄心) 文政6末年奉納 さし石 最大170キロ 江戸時代~昭和初期 平成14年(2002)5月吉日之記 20有余年の歳月を経て完了された鹿骨土地改良区の地域は、大東京の東端に位置し、野菜と園芸の生産地として、明治、大正、昭和の今日まで、都民の日常生活に必要な野菜の宝庫として知られ、又日本一の園芸の生産地でもあった。四季それぞれの花が供給され、この花により人心は安らぎ、すべての人類に喜びと感謝の意をあたえていた。然るにこの偉大な産業の地にも太平洋戦争による敗戦と云う事実が、この平和な地に異変をもたらした。国破れて山河あり と云う如く、ある者は家を焼かれ、土地は荒廃されて見る影もなく、地域住民の苦しみは並々ならぬものであった。吾等住民は此の惨状を挽回する為には、大きな苦痛や困難を乗り切らねばならなかった。何と云っても、地域復興の為にこの荒廃された土地と戦うことだ。この時地元有志は敢然として立上がり、土地の自力開発に決起する事に賛成された。そして昭和34年(1959)12月26日、鹿骨町外5ヶ町よりなる土地改良区を設立した。鹿骨町、松本町、谷河内町、新堀町、上篠崎町及び西一之江町の一部で総面積129.34ヘクタール、此の広大な地域が一致団結、発起人並に組合員334名の者が文字通り、日夜をわかたず改良事業に献身された。理事会は組合の最高機関として、各委員会に諮問し、完全なる土地改良の実現に努力され、工事委員会は各道水路を整備し、明るく住みよい町造り完成のために努力した。換地委員会は組合員の土地に対して、その面積に対し公平なる換地の実現を目的とし、評価委員会は全ての物件の評価に対して、不平のない事を目的として行われた。尚登記事務等も組合職員の努力により昭和46年(1971)12月27日ついに完成された。此の土地改良区も幾多の困難を克服して、狭曲な農道や灌漑用排水路も全く旧態を一新し、時代の要請に対応される鹿骨区民館、鹿骨中学校、東京都随一を誇る化学消防署等三大公共施設の用地もきまり、工事は各施設共建設の第一歩を踏み出しているのである。 省みて、此の土地改良事業は如何に困難であり、実に偉大なる事業である事を痛感すると共に、此の事業完成に御協力下された都の職員、区の職員の良き御指導並に組合役員及び組合員の一致協力の賜と思い、ここにその感謝と喜びを後世に残す事を目的として、この碑を建立する次第である。 昭和52年(1977)11月吉日 清算法人 鹿骨土地改良区 清算人代表 川手与八 会計清算人 中代伊治 清算人 岩楯泰ニ 森武義 高橋成子 中代喜四郎 中代源之助 村山幸四郎 社叢(18種類)直径10c以上205本最大欅直径1.1m目通3.3m PR ![]() ![]() |
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