東京都江戸川区の歴史
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山門
所在地 江戸川区江戸川6-7-15 日蓮宗 本覚山 成就院 妙勝寺 本堂 日蓮宗で本覚宇尼成就院と号し、中山法華経寺の中本寺として十四か寺の末寺を抱えていました。土地の人から「じょうじん」(成就院)とか「黒門寺」と呼ばれ親しまれています。 釈迦殿 寺伝によると、弘安7年(1284)堀江の浦(葛西沖)に漂着した難破船に残っていた少年を、ニ之江村の漁師が救い上げました。少年は平家の末裔で、中山法華経寺の二世日高上人の弟子となり、のちに成就院日尚と号して古川べりの妙見社のかたわらに小堂を建てました。これが本寺の始まりで、徳治2年(1307)3月のことといわれます。 開山堂 紙本墨書大曼荼羅(区登録有形文化財) 天保14年(1843)32世日信の代に、小島(現・西葛西)に住む控井権右衛門が寺に寄進したと記録されています。日信はその鑑定を法華経寺百一世日道(~1850)に依頼し、ニ幅とも日高、日祐承認の真筆であると認めた証文が残っています。 平成3年(1991)3月 江戸川区教育委員会 PR |
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プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
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