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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区平井6-12

 安立山と号し、慶長3年(1598)8月12日に安立院日業鐃上人が創建したと伝えられる日蓮宗の寺です。元禄年間(1688~1704)に津波で堂宇を消失しましたが、日信上人が中興し、また大正4年(1913)に日台上人が再興しました。現在の本堂は水害防止のため床を高くしてあり、昭和41年(1966)に改修したものです。



◆田口初右衛門筆子塚(区登録有形文化財)
 読み書きを寺子屋で習った生徒を筆子といい、成長した筆子が師匠の菩提を弔うために建てた供養塔や墓誌を筆子塚とよびます。
 妙光寺の田口家墓所の墓石に「門弟中」と刻まれた初代初右衛門は、文化9年(1812)に寺子屋を開きました。江戸川区内では最も早いものの一つです。初代の教えを受けた筆子たちがこの建立に助力したものと考えられます。同じ墓石に安政4年(1857)に寺子屋を始めた2代目初右衛門の戒名も刻まれています。
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会
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所在地 江戸川区平井6-17-30

 新義真言宗で、明雅山明王院と号します。山門を入った正面に見える聖天堂は燈明寺の別堂で、妻沼聖天、浅草待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られています。



 草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し享保年間(1716~1735)に京都から赴任した恵祐法印によって再興されました。



 歴代将軍が鷹狩りのときに御膳所に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。
 その後、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあいましたが、当時の関澄道貫主(26世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅な本堂が建立されました。
 澄道貫主は文人としても知られ、正岡子規や伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室は左千夫の設計によるものです。
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-17-36

 祭神は建御名方命で、享保年間(1716~1735)、燈明寺の恵祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
 境内中央の社殿は、昭和42年(1967)に明治100年を記念して建てられ(昭和44年〔1969〕完成)、その旧本殿が境内北隅に移築されています。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会



 境内には『諏訪神社旧本殿(江戸川区登録有形文化財)』、『平井の富士塚(江戸川区登録有形民俗文化財)』があります。




所在地 江戸川区平井6-17-36 (諏訪神社)


江戸川区登録有形文化財
 諏訪神社旧本殿

 天保14年(1843)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えています。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区平井6-17-36 (諏訪神社)

江戸川区登録有名民俗文化財(民俗資料)
 平井の富士塚
     昭和59年(1984)2月登録



 富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
 平井の富士塚は、大正9年(1920)ごろ、旧下平井村の丸星講の人たちによって造られました。登山道が2つに分かれ、1本は頂上に、もう1本は中腹の小御嶽神社に通じています。頂上の石祠には、大正9年(1920)の造立銘があり、小御嶽神社の前には、丸富の講紋と、「小御嶽神社」と刻まれた石祠があります。塚の高さは約1.5メートルです。
 境内の絵馬堂の内壁には、丸富講が大正2年(1913)に奉納した絵馬があります。
 平成14年(2020)1月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-17

 江戸川区登録有形文化財(歴史資料)
下平井の観世音菩薩浅草道石造道標
          昭和58年(1983)3月登録



 道標は、明治以降の地図と比較して精度の低いとされる絵地図類を補うものであり、江戸時代の当地域をめぐる交通史上のきわめて有用な歴史資料です。
 この道標は、行徳道と呼ばれた旧道上にあります。行徳道は、旧中川平井の渡しから東小松川村、西之江村、東一之江村を経て、今井の渡しに達する道筋でした。元の位置はここから東のつきあたりにあり、浅草方面から来た人が平井の渡しを越えて先ず目にした道標でした。「享保19年(1734)甲寅」の観世音菩薩像右脇に「あさくさ道」左脇に「是より佐り、ぎやうとく道」とあります。平成17年(2005)12月、現在地へ移設しました。
 平成18年(2006)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-53-1

 真言宗豊山派で、清瀧山安全院と号し、開山は源理法印といわれています。本尊には阿弥陀如来立像を祀っています。



 門前には遍照講の建立した弘法大師と肉太で刻まれた石柱がたち、門を入って左手の小堀をめぐらした中に弁天堂があります。上野不忍池のほとりに住んでいたある商人の夢枕に弁天様が現れ、平井の池に弁財天を祀るようにとのお告げによって、明治17年(1884)、明治18年(1885)頃に建立されたものです。終戦後からこの弁財天に息災を祈願して、、多数の檀信徒が集まり、大般若経600巻の転読と、節分護摩豆まき会をおこなっています。
 山門は安永7年(1778)、円覚上人の代に建立されました。
 平成元年(1989)3月 江戸川区教育委員会



 境内には『富士塚(江戸川区登録有形文化財・歴史資料)』があります。




所在地 江戸川区平井6-53-1 (安養寺)


江戸川区登録有形文化財・歴史資料

 この富士塚は、明治17年(1884)頃、境内の弁天池を拡張したときの土を盛りあげて築いたと伝えられています。昭和35年(1960)頃まで、毎年7月1日の山開きに白い装束の富士講中の人々が参拝していました。
 高さ5メートルの頂上にある石祠(浅間神社)は、「■■十三庚寅6月吉日、氏子中」と刻まれているもので、文政13年(1830)の造立と推定されます。また、頂上南側の鐘撞き堂は、もと山の脇にありましたが、昭和42年(1967)に、現在地に移築しました。
 昭和60年には、塚の一部を改造して、弘法大師の石造を納めています。
 平成元年(1989)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区本一色2-22 (北野神社)

 この道標は、旧本一色村の出羽三山講中によって建てられました。もとはこの先、本一色郵便局角にあったものを当境内に移転したものです。銘文からみると、文政2年(1819)に造立されたもので、上小松、平井、市川、新宿の方向が示されています。



 銘文

正面 月山
    湯殿山 講中 (10名連記)
    羽黒山
     是より左
     上小松
     平井   道

右面 是より右市川道(6名連記)
    文政2卯天12月

左面 是より右新宿道(7名連記)

背面 本一色村

  昭和53年(1978)7月 江戸川区教育委員会

 


所在地 江戸川区平井7-28-5

 旧平井村の鎮守で1874年(明治7年)に村社となりました。創建は明らかでありません。祭神は天照皇大御神、合殿に布都主命武甕槌命を祀ります。別当は安養寺でした。
 2本のある鳥居の注連縄は銅製の鍛造によるもので、1928年(昭和3年)に鳥居を改修したおりに奉納されました。藁で編む注連縄の穂先や根本まで銅板で作られた精巧で珍しいものです。



江戸川区区指定有形文化財(建造物)
 天祖神社本殿



 江戸川区ではほとんど見ることのできなくなった萱葺きの神社本殿で、江戸時代末期の神社建築として貴重な建造物です。主部材はケヤキ(柱はヒノキ、はめ板はスギ)、屋根の萱葺きを銅板で覆っています。屋内には2本の八角の柱を建て、他の柱も内部は八角、外側は円になっています。



 外壁面には鳥をモチーフにした精緻な彫刻が多数あります。松に鶴、梅に鶯、そのほか鶏、雀、雉、鷲、鷺、水鳥などで、脇障子の両面にも彫刻がほどこされています。
 1995年(平成7年)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区本一色3-16-28

真言宗豊山派
 興宮山 青蓮院 光照寺


                陸軍軍曹三田銀雄顕彰碑


              海軍上等兵高津兼松顕彰碑


所在地 江戸川区江戸川1-48

江戸川区登録有形文化財(歴史資料)
 成田山不動明王石造道標




 江戸時代から成田山の不動信仰が盛んで、区内の各村から成田へ参詣する人々も多かったとみえ、成田山への道標がいくつか建てられています。この成田山不動明王石造道標もその一つで、文政9年(1826)下鎌田村成田講の講中によって建てられました。
 正面には、成田山不動明王の文字が彫られ、右面に江戸道・台座正面に行徳・市川の方向を示しています。当時の市川道(現在の篠崎街道)を通り、この道標によって伊勢屋村(江戸川水門のあたり)から、”河原の渡し”で江戸川を渡るか、すぐ江戸川方向に曲がり”前野の渡し”で江戸川を渡り、成田山へ向ったと思われます。
 この道標は江戸時代における庶民の生活、特に民間信仰のありさまを伝える貴重な資料です。
 昭和63年(1988)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川3-22-5

 浄土宗の古刹で瀧亀山清泰院と号し、もとは芝増上寺の末寺でした。文永3年(1266)源清和尚が草庵を結んだのが始まりで、弘安年間(1278~1287)に記主禅師が鎌倉の光明寺から下総の光明寺へ赴く途中この寺に一宿した時住持が開山を願ったものといわれます。



◆木造大塚氏先祖夫妻坐像(区登録有形文化財)
 大塚家は今井村の草分けで、寺にある坐像は江戸時代初期の作と推定されています。
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会

 境内には『新川梨の碑(江戸川区登録有形文化財)』、『大塚宗蔵の墓(江戸川区登録史跡)』、『力誉上人筆子塚・順定和尚筆子塚・声誉上人隋誉上人筆子塚(江戸川区登録有形文化財)』があります。


所在地 江戸川区江戸川3-22-5  (浄興寺)


文政8年(1825)、大塚宗蔵の1周忌に建てられました。
区登録有形文化財
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川3-22-5 (浄興寺)

 大正初年(1912)頃まで本区の千葉産業だった梨栽培の創始に力を尽くした大塚宗蔵(文政7年〔1822〕没)とその家族の墓です。
 区登録史跡
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区江戸川3-22-5 (浄興寺)

 区登録有形文化財
力誉上人筆子塚
順定和尚筆子塚
声誉上人隋誉上人筆子塚




 浄興寺の歴代住職は寺子屋を開いて村人の教育に努めました。3基とも長卵形の石造無縫塔で、筆子たちによって建立されたものです。
  平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区江戸川3-50 (誠心寺)

江戸川区登録有形民俗文化財
  庚申塔


                                    寛文八年銘


                                   寛文十三年銘


所在地 江戸川区江戸川3-50

浄土宗で薬王山慈眼院と号します。文明年間(1469~1487)に天誉竜顔が草庵を結び、慶長7年(1602)行誉清教が一寺として創建したと伝えています。本尊は阿弥陀如来坐像と観音菩薩立像です。
◆木造阿弥陀如来坐像(区登録有形文化財)
 江戸時代の作で、高さ36センチ。像容が整っており、光背も筋光背という珍しい様式です。
◆木造聖観世音菩薩立像(区指定有形文化財)
 南北朝(14世紀)頃の作と推定されます。像容の整ったすぐれた製作技術による寄木造りの観音像です。長島に住んでいた初代吉岡助左衛門が、海中より網で引きあげたという寺伝があります。
◆木造薬師如来立像(区登録有形文化財)
 室町時代の作と推定されます。高さ47.5センチ。寄木造りで像容のおだやかな仏像です。このほか、境内には庚申塔(寛文8年〔1668〕銘及び寛文13年〔1673〕銘)2基があります。ともに区登録有形民俗文化財です。
 平成2年(1990)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川4-23 

 真言宗豊山派で、覚王山不動院と号し、本尊は不動明王です。宝徳3年(1451)に乗善法印が開山し、後に覚誉上人が中興しました。
 平成15年(2003)7月 江戸川区教育委員会




 境内には『橋本省吾墓』、『法印中阿筆子塚(江戸川区登録有形文化財)』があります。




所在地 江戸川区江戸川4-23 (真福寺)


 旧下今井村出身で、明治27年(1894)に江戸川区で最初の衆議院議員となりました。当時困難を極めた海苔の養殖において、漁民を励まし、援助し、改善を加え、養殖を成功させました。後に葛西浦漁業組合を設立、初代組合長となりました。
 平成15年(2000)7月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川4-23 (真福寺)
 
区登録有形文化財・歴史資料
 法印中阿筆子塚 
     平成12年(2000)2月登録



 真福寺墓地の歴代墓域基壇上にあります。台石に「筆子中」と刻まれ、地元だけでなく小岩地区の筆子の関係したことを示す銘文のある無縫塔です。
 平成15年(2000)7月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川5-7

 熊野神社は、旧下今井村の鎮守で、「おくまんさま」とよばれて、江戸川を上下する船人の信仰を集めていました。宝永年間(1704~1711)の創建と伝えられ、祭神は伊佐奈美神です。



◆おくまんだしの水
 本神社前の江戸川は、「おくまんだし」とよばれ、水流の関係で深い瀬となっています。ここの水は、とくにきれいで、こなれていたために、昔は徳川将軍家の茶の湯につかわれていたと伝えられています。野田の醤油の製造をはじめ、本所、深川、大島あたりでもこの水を買って飲んだといわれています。
 平成2年(1990)3月 江戸川区教育委員会

 境内には『芭蕉句碑』があります。


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