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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区東葛西2-34-20 (香取神社)


 長島の地は古くは太日河ふとひかわ(現江戸川)河口にあたり、国府の湊(又は長島の湊)として、賑わって居り足利時代に戦略地点として北条方の勇将太田新六郎康資がこの地を支配していたと言う。
 また、この長島の地に当時長島高城があり現在に至るも小字として表門、裏門、馬場、宿、堂屋敷等(現清光寺附近)が伝承されている。
 なお、江戸時代は武蔵国長島村と言われていた。
 また、明治に入り長島の地は半農半漁として盛んになり、特に葛西のり養殖及び蓮根作り等は有名であった。
 明治4年(1871)廃藩置県となり幾度かの改正を経て 明治11年(1878)11月2日東京府南葛飾郡葛西村大字長島となる。
 昭和7年(1932)10月1日 市郡併合により大字、小字が廃止され、東京市江戸川区東長島町となり、昭和9年(1934)5月1日長島町となる。
 昭和18年(1943)7月1日東京都制施行により、東京都江戸川区長島町となる。
 昭和54年(1979)11月1日~昭和56年(1981)11月1日の三ヵ年の間に葛西地区全般が現在の住居表示となる。
          (江戸川区史及び東京ふる里文庫史料より)
 昔より親しまれてきた長島の町名がなくなるのを惜しみ、ここに長島の碑を建立す。
  昭和59年(1984)1月吉日
    長島町会長島之碑建設委員

委員長 須原卯一

委員 西野剱吉 西野孝三 西野勇次郎 西野博 渡辺英治 渡辺昇司 吉野嘉一 吉川孝 吉野浩司 宮崎静雄 鹿野武雄 鹿野茂春 森田共一 関口友三郎 西野文子 吉田とよ子 松下きみ 三浦喜満江 品田栄子(イロハ順)

特別協力者 熊川きん

碑文作成者 鹿野元一

     昭和59年(1984)1月吉日建立
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