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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区上篠崎1-22-31

 平安時代の天慶元年(938)5月15日を創建とする区内で最も古い神社で、祭神に木花開耶媛尊を祀り、ほかに摂社八社をまつっています。承平2年(932)にこの地に移住していた弥山左那比神人が初代宮司として仕えました。また、天慶3年(940)には平将門の乱を鎮めるため平貞盛が将門幸福の祈願をこめ社内に霧島神社を祀り、金幣と弓矢を献じて武運を祈った由緒の深い神社です。江戸時代(文化・文政)頃から、江戸やこの周辺からの参詣者が増加し、講社なども組織されるほどになり、明治7年(1874)に祀官拝名の社として、区内ではここ一社だけが郷社に列せられています。社宝には後花園天皇親筆といわれる連歌一巻など貴重な品々があります。


  
 宝物
村上天皇御守剣・天国之剣
御花園天皇の連歌
熾仁親王の神額
太政大臣三条藤原朝臣の神額
犬養毅の額 等々



 境内には『富士講碑』『社叢』があります。

のぼり祭り

  江戸川区指定無形民俗文化財

 文化・文政の頃から、”七浅間さままいり”のひとつとして講が組織されました。7月1日の例祭日は「のぼり祭り」といわれ、柱に下総国と銘のある高さ20米以上もある大幟が10本もたてられるので、この名があります。珍しい祭りで、日本一ともいわれています。
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所在地 江戸川区上篠崎1-22-31  (浅間神社)

江戸川区登録有形文化財(歴史資料)



 高さ103センチ米、幅76センチ米、天保11子年(1840)5月吉日に「江戸北新堀 狗願主中」により建立されました。
 富士講碑は、富士山信仰のための講碑ですがこの富士講碑は一般のそれと異なり、講印や何々同行という文字がなく、中央に「元祖食行身禄」の名が大きく書かれ、下部に三猿が描かれていることで、講碑としては珍しい形式で、貴重なものです。



 食行身禄(1671~1733)は伊勢の人ですが、江戸で熱心な富士講信者となり、その中心的な指導者となって教理の体系化をはかりました。この碑は没後百余年を経て建てられています。刻字中の「■」は「禄」が正しく、「価」は富士講独特の使用法で、先師を敬ってその名の下に付けます。

 昭和56年(1981)1月13日登録 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区上篠崎1-22-31 (浅間神社)

   区指定天然記念物

社叢(神社を囲む木々)は、この社の約4000坪の浅間神社境内を包むように茂り、昔から、「せんげん様の森」として知られています。

 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区上篠崎1-23-14 (妙勝寺) 





                      沢地東淵墓誌銘





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