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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区江戸川5-4

 区指定有形文化財・民俗資料
        昭和56年(1891)1月指定



 江戸時代の村では、建物にもさまざまな制限が設けられており、門構えを許された家も限られていました。長屋門は外観が立派なことと、両側を物置に利用できて便利なので、特に好まれました。
 宇田川家は江戸時代にニ之江村の村役人をつとめていました。この門は、江戸時代後期に建てられたと推定されています。茅葺きで、武者窓のあるのが特徴です。

 平成15年(2003)2月 江戸川教育委員会

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所在地 江戸川区江戸川5-4

  昭和58年(1983)3月登録 区登録有形文化財・歴史資料
 宇田川家長屋門の前にあります。高さ67センチ、周長152センチ、丸い自然石で正面には「是ヨリ左リ行徳道」、左面には「田中孫右衛門」とあります。もとはすぐそばの突留橋にありました。
 平成15年(2003)2月 江戸川区教育委員会





所在地 江戸川区江戸川3-8-1

  本堂
 本尊 阿弥陀如来 脇士 観音 勢至
菩薩の三尊を奉安し 脇壇に浄土宗の高祖
善導大師 宗祖 明照和順大師法然上人の尊像を安置しています。

 本堂

 昭和初の頃の当時は 境内も低く 諸堂宇も老朽し 関東大震災(1923)で破損していました。よって改築が計られ檀信徒一致して大事業に当りました。
 境内の地上げは 江戸川の中洲からトロッコで土砂が運ばれ この作業は檀信徒と村の青年団員の労力奉仕によって また本堂基礎の土盛は 5百坪の水田を掘った土を運んでなされました。
 用材の檜は 見本から吟味して木挽くなど数年の日数と当時所有の水田 三町部売却し さらに檀家の多額の寄付と年貢の前借りなど苦心の財をもって昭和3年(1928)書院 昭和6年(1931)本堂が改築落成しました。境内墓地も改修され 大変よく整った景観でした。




 昭和27年(1952)保育園 40年(1965)幼稚園を開設したため 親鸞堂の移築などを行い また 昭和48年(1973)に庫裏を改築 昭和57年(1982)檀信徒の寄進により 奥書院が新築される等で景観が整はなくなりました。



 よって昭和60年(1985)再度の檀信徒の寄進により 境内 敷石改修 植樹を行い 特志家によって お茶所(慈照庵) 水屋 掲示板 悲母観音像  寺号塔 などが寄進され 現在の景観になりました。
 寺号額は 三十世 快誉従妹 日展 無鑑賞の書家 関口寿光女史の書です。



 境内には『佃観音堂』、『大師堂』、『太子堂』、『親鸞堂』があります。


所在地 江戸川区江戸川3-8-1 (明福寺)

 親鸞聖人ご自作と伝える御真影を安置しています。(御像は区文化財指定)
 当明福寺は親鸞聖人の24輩の一つと伝えられ古くから旧都内の浄土真宗門徒の人々によって鎌田講が組織され毎年5月8日に報恩講が勤められていました。(現在は4月第3日曜日に太子祭と併せて勤修しています)
 当寺に伝わる 親鸞聖人縁起によれば聖人は常陸国稲田に隠居されていましたが50余才のころ京都へお帰りになろうと嘉禄2年(1226)庵堂を出て同年6月の初め下鎌田村にお着きになりましたが炎暑はなはだしいので旅の疲れを休めようと池のほとりの 柳の陰に たたずんでおられたとき 老翁があらわれ 炎熱の時 いく日も雨降らず田の苗焦がれている このようでは農民が 餓死するのも近いので万民を哀れみ 雨乞いをしたまえと申しました。聖人は西に向って礼拝合掌し 声高らかに 天下和順 日日清明 風雨以時 災属不起 国豊民安 と唱えられ 念佛十返 したまうと 雷とどろき 雨 雲天をおおい大雨が降り農民は救はれました。
 老翁がしばらく此地に止まり 衆生を教化したまえと願いましたので 池のほとりに草庵を結び 所持の聖徳太子の真影を安置し住まわれること3年 池の水に影を映し自身の像を刻まれ残しおかれたのが安置するニ尺五寸の尊像なり 老翁は南の方の堂内安置 毘沙門天の変化なり  とあります。
 影を映された池を鏡ヶ池といい本堂裏にあります。 
 現在のお堂は昭和35年(1960)親鸞聖人7百年遠忌に当り鎌田講 講元 原田吉蔵氏の喜進により移築建立されました。
 堂額は 浄土真宗 本願寺派 大谷光照門主の書です。



所在地 江戸川区江戸川3-8-1 (明福寺)

 親鸞聖人が所持されたと伝える 聖徳太子の像形立像と わきに親鸞聖人縁起ゆかりの毘沙門天と観音菩薩とが安置されています。
 太子堂は当明福寺が別当として所管し昭和初めまでは下鎌田村の村中がお祭を行ってきました。また太子は 古来曲尺の師 職人の祖として崇められ 職方の講が 小岩 葛西 浦安方面にあります。かって傘製造が盛んであった昭和10年代頃までは 小岩方面を中心とする傘職人の講中もありました。
 現在は下鎌田 今井を中心に太子講が組織され 例祭が勤められています。
 聖徳太子の御命日は2月22日で月おくれの3月22日に例祭が修されていましたが現在は4月第3土、日に勤めています。
 堂額は 江戸末期の著名な書家 深川の 三井親和 の書です。



所在地 江戸川区江戸川3-8-1 (明福寺)

 本尊大日如来 尊像と弘法大師の像が安置されています。
 明治43年(1910)に新四国南葛88ヶ所第28番の札所として建てられました。
 四国までは遠くて巡礼できないので下町の庶民のために南葛飾郡(現在の江戸川区 葛飾区 足立区)のお寺をえらんで建てられたものです。

 堂 右側の石碑には
表に 新四国南葛88ヶ所
     弘法大師
     第28番札所 明福寺
右側に 明治43年3月12日
裏に 神田
    日本橋 魚がし の文字が見えます。



所在地 江戸川区江戸川3-8-1 (明福寺)

  佃観音堂(子育観音)
 昭和10年(1935) 中央区佃島から移したもので観音菩薩が安置されています。
 由来によれば 明治3年(1870)2月佃島の一漁師が海中より拾いあげ我家のかたわらに安置し供養していました。霊感あらたかで誰いうとなく子育観音と名づけました。
 ある夜 佃 己之の妻女に「閑静な所に移りたい」とお告げがあり因縁をたどって 当 明福寺境内に奉安されました。
 現在も 佃 己之の子孫の方によって維持されています。
 赤子をかかえた 母親がお乳がよく出ますようにと願をかけた祈りが込められています。



所在地 江戸川区江戸川3-24

 祭神は、素盞鳴尊(すさおのみこと)で、旧上今井村では香取神社と並んで、人びとから尊崇された鎮守である。創建年月日は不詳だが、昔は特に水路の神として信仰され、舟人たちが江戸川を航行して神社の前を
通るときは、帆を下げて舟路の安全を祈ったといわれる。



 神紋は祇園守紋で、形が胡瓜を輪切りにしたようにみえることから、土地の人たちには胡瓜の初物を神にそなえてから食する習わしがあった。



  笹団子行事 
        江戸川区登録無形民俗文化財・風俗慣習

 7月の満月の夜の大祭では、参詣者に笹の枝に団子と神符をつけた「笹団子」を授け、無病息災を祈った。この行事は、今の受継がれている。

 昭和53年(1978)7月 
 江戸川区教育委員会(平成18年〔2006〕7月改修)


所在地 
江戸川区江戸川3-44

 旧上今井村の総鎮守で、経津主命を祀り、別当は地元円照寺でした。永禄7年(1564)の創建といわれています。本地仏として11面観音が奉安されています。社殿は昭和49年(1974)に再建されました。



 境内北側に今井の富士塚〔江戸川区登録有形民俗文化財 民俗資料 昭和58年(1983)3月登録〕と富士講の記念碑が建っています。 
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会

 八幡宮

 金比羅宮






  香取神社御造営記念碑

本神社は 永禄7年(1564)8月15日に創建なり 当村は小田原役帳に遠山丹波守 石高十七貫三百文 葛西今井上下と記しあり 武州葛西領上今井村一帯の総鎮守として勧請せられたり 社宝に菩薩像一基あり而して 当時名主榎本半兵衛 田島浅衛門などにより宮大工当村住人惣三朗が棟梁となり当時の社殿を御造営せらる
当社殿は明治初期の改築で老朽甚だしきにより氏子総代建設委員等心を一つにして社殿の御造営を相計り 敬神の念厚き氏子各位のご賛同に依り昭和47年(1972)12月工を起す 昭和48年(1973)1月16日道ヶ島香取神社へ当社の御霊を
遷座す 昭和49年(1974)5月本殿竣工により正遷座を執行す
 昭和49年(1974)7月27日
  香取神社宮司 亀井悦造識  

まつりがさ 八重の照る妙 明る妙 鳴瀬


所在地 江戸川区江戸川3-44
 (香取神社)

江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料
 今井の富士塚
     昭和58年(1983)3月登録



 香取神社境内北側に富士塚と富士講の記念碑が建っています。 
 今井の富士塚は、旧上今井村の上いまい割菱八行講によって、昭和5年(1930)に築造されました。高さ約2.5メートルで、頂上に石祠をまつり、登山道の途中に「浅間神社」と刻んだ碑があります。そのほか、「元祖食行身禄」の碑や烏帽子岩、力石などを配しています。



 また富士塚のふもとには寛延4年(1751)建立の庚申塔(青面金剛)があります。
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川6-4-11

 新義真言宗で海照山普門院と号し、本尊は、聖観世音菩薩で行基の作といわれています。



 寺伝によると、むかしこの地に観音堂があって村人の信仰を集めていました。永享10年(1438)に、栄源法印が不動明王を背負って遍歴したのち、永住するようになったので、人々が協力してお堂を建て、蓮華寺と称したのが始まるといわれています。
 建物は安政2年(1855)の地震、大正6年(1917)の津波や関東大震災で全壊の災厄にあいましたが、昭和47年(1972)に鉄筋建築の現在の本堂が完成しました。


 
  虫除不動

 本堂に、不動明王立像が安置されています。昔から「虫除不動」といわれて、子どもの癇の虫に霊験があらたかであるとして、広く人々に信仰されました。

 平成15年(2003)3月 江戸川区教育委員会
山門

所在地 江戸川区江戸川6-7-15

日蓮宗
 本覚山 成就院 妙勝寺

本堂

 日蓮宗で本覚宇尼成就院と号し、中山法華経寺の中本寺として十四か寺の末寺を抱えていました。土地の人から「じょうじん」(成就院)とか「黒門寺」と呼ばれ親しまれています。

釈迦殿

 寺伝によると、弘安7年(1284)堀江の浦(葛西沖)に漂着した難破船に残っていた少年を、ニ之江村の漁師が救い上げました。少年は平家の末裔で、中山法華経寺の二世日高上人の弟子となり、のちに成就院日尚と号して古川べりの妙見社のかたわらに小堂を建てました。これが本寺の始まりで、徳治2年(1307)3月のことといわれます。


開山堂

   紙本墨書大曼荼羅(区登録有形文化財)

 天保14年(1843)32世日信の代に、小島(現・西葛西)に住む控井権右衛門が寺に寄進したと記録されています。日信はその鑑定を法華経寺百一世日道(~1850)に依頼し、ニ幅とも日高、日祐承認の真筆であると認めた証文が残っています。

 平成3年(1991)3月 江戸川区教育委員会





所在地 江戸川区江戸川6-45

 ニ之江村の鎮守で香取神社と称し、明治6年(1873)、村社となりました。創立年月日は定かではありませんが、経律主命を祀り、現在地にありました。



 八幡神社は寛文年間(1661~1673)の創建で、誉田別神(ほんだわけのかみ)を祀りました。もとは地元妙勝寺の境内社であって、三重番神ともいわれましたが、昭和42年(1967)12月香取神社と合祀して、新たにニ之江神社としました。



 境内には『ニ之江神社のケヤキ(江戸川区登録天然記念物)』があります。



所在地 江戸川区江戸川1-48

江戸川区登録有形文化財(歴史資料)
 成田山不動明王石造道標




 江戸時代から成田山の不動信仰が盛んで、区内の各村から成田へ参詣する人々も多かったとみえ、成田山への道標がいくつか建てられています。この成田山不動明王石造道標もその一つで、文政9年(1826)下鎌田村成田講の講中によって建てられました。
 正面には、成田山不動明王の文字が彫られ、右面に江戸道・台座正面に行徳・市川の方向を示しています。当時の市川道(現在の篠崎街道)を通り、この道標によって伊勢屋村(江戸川水門のあたり)から、”河原の渡し”で江戸川を渡るか、すぐ江戸川方向に曲がり”前野の渡し”で江戸川を渡り、成田山へ向ったと思われます。
 この道標は江戸時代における庶民の生活、特に民間信仰のありさまを伝える貴重な資料です。
 昭和63年(1988)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川3-22-5

 浄土宗の古刹で瀧亀山清泰院と号し、もとは芝増上寺の末寺でした。文永3年(1266)源清和尚が草庵を結んだのが始まりで、弘安年間(1278~1287)に記主禅師が鎌倉の光明寺から下総の光明寺へ赴く途中この寺に一宿した時住持が開山を願ったものといわれます。



◆木造大塚氏先祖夫妻坐像(区登録有形文化財)
 大塚家は今井村の草分けで、寺にある坐像は江戸時代初期の作と推定されています。
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会

 境内には『新川梨の碑(江戸川区登録有形文化財)』、『大塚宗蔵の墓(江戸川区登録史跡)』、『力誉上人筆子塚・順定和尚筆子塚・声誉上人隋誉上人筆子塚(江戸川区登録有形文化財)』があります。


所在地 江戸川区江戸川3-22-5  (浄興寺)


文政8年(1825)、大塚宗蔵の1周忌に建てられました。
区登録有形文化財
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川3-22-5 (浄興寺)

 大正初年(1912)頃まで本区の千葉産業だった梨栽培の創始に力を尽くした大塚宗蔵(文政7年〔1822〕没)とその家族の墓です。
 区登録史跡
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区江戸川3-22-5 (浄興寺)

 区登録有形文化財
力誉上人筆子塚
順定和尚筆子塚
声誉上人隋誉上人筆子塚




 浄興寺の歴代住職は寺子屋を開いて村人の教育に努めました。3基とも長卵形の石造無縫塔で、筆子たちによって建立されたものです。
  平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区江戸川3-50 (誠心寺)

江戸川区登録有形民俗文化財
  庚申塔


                                    寛文八年銘


                                   寛文十三年銘


所在地 江戸川区江戸川3-50

浄土宗で薬王山慈眼院と号します。文明年間(1469~1487)に天誉竜顔が草庵を結び、慶長7年(1602)行誉清教が一寺として創建したと伝えています。本尊は阿弥陀如来坐像と観音菩薩立像です。
◆木造阿弥陀如来坐像(区登録有形文化財)
 江戸時代の作で、高さ36センチ。像容が整っており、光背も筋光背という珍しい様式です。
◆木造聖観世音菩薩立像(区指定有形文化財)
 南北朝(14世紀)頃の作と推定されます。像容の整ったすぐれた製作技術による寄木造りの観音像です。長島に住んでいた初代吉岡助左衛門が、海中より網で引きあげたという寺伝があります。
◆木造薬師如来立像(区登録有形文化財)
 室町時代の作と推定されます。高さ47.5センチ。寄木造りで像容のおだやかな仏像です。このほか、境内には庚申塔(寛文8年〔1668〕銘及び寛文13年〔1673〕銘)2基があります。ともに区登録有形民俗文化財です。
 平成2年(1990)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川4-23 

 真言宗豊山派で、覚王山不動院と号し、本尊は不動明王です。宝徳3年(1451)に乗善法印が開山し、後に覚誉上人が中興しました。
 平成15年(2003)7月 江戸川区教育委員会




 境内には『橋本省吾墓』、『法印中阿筆子塚(江戸川区登録有形文化財)』があります。




所在地 江戸川区江戸川4-23 (真福寺)


 旧下今井村出身で、明治27年(1894)に江戸川区で最初の衆議院議員となりました。当時困難を極めた海苔の養殖において、漁民を励まし、援助し、改善を加え、養殖を成功させました。後に葛西浦漁業組合を設立、初代組合長となりました。
 平成15年(2000)7月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川4-23 (真福寺)
 
区登録有形文化財・歴史資料
 法印中阿筆子塚 
     平成12年(2000)2月登録



 真福寺墓地の歴代墓域基壇上にあります。台石に「筆子中」と刻まれ、地元だけでなく小岩地区の筆子の関係したことを示す銘文のある無縫塔です。
 平成15年(2000)7月 江戸川区教育委員会


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