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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区平井1-24-33

 天台宗で、嘉桂山西光院と号します。もとは本所竹町にありましたが、明治14年(1818)現在地に墓地を移し、昭和2年(1927)に本堂その他の建物を移転しました。本所にあったころ、門前に枳(からたち)の木が並んでいたので、通称「からたち寺」と呼ばれ、今でもその名は通じています。
 嘉祥元年(848)慈覚大師が開山し、正和3年(1314)舜慶法印が中興したものと伝えられています。
 本尊は木造阿弥陀如来立像です。寺宝に神田宗庭筆の千手観音像を所蔵しています。



 墓地には、越知二楽(兵学家)、荻野楳塢(仏教学者)、寺島梅里(画家)、清元延寿太夫(清元)、那波征甫(浅草紙創始者)、山本梅痴(画家)などの墓があります。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会
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所在地 江戸川区平井1-25-31

 天台宗で牛宝山明王院と号し、大正2年(1913)に、本所表町(現・墨田区)から現在地に移転しました。開山は、貞観2年(860)で、慈覚大師の建立です。
 墓地には烏亭焉馬(戯作者)、富田木歩(俳人)の墓および、柔道界の鬼と言われた徳三宝の頌徳碑と同夫妻の墓があります。


 
◆木像不動明王坐像
正和56年(1981)1月登録 江戸川区登録有形文化財・彫刻
 像高は127センチです。本所表町にあった最勝寺の末寺、東栄寺の本尊でした。江戸五色不動(目青・目赤・目黄・目白・目黒)のひとつ「目黄不動」の名で知られています。名像良弁の作といわれ、将軍家の信仰が厚かったといわれています。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井1-25-37

 宝聚山と号し、日蓮宗の古刹です。創立当初は、本所にありましたが、昭和4年(1929)に現在地に移転しました。
 つたえるところによれば、建長5年(1253)の夏、日蓮聖人が房州清澄山から鎌倉に向かう途中、亀戸の地を通ったおり、同地の住人、千葉某が聖人の教えに帰依したので、聖人は七文字の題目を書いて与えました。千葉氏はこれを石に刻み、宝塔を建てました。人々は、聖人が「広宣布石」と呼び、参拝祈願するようになりました。
 その後、数代を経て、千葉常明の一子、万千代が疱瘡を病んで死にましたが、広布石の功徳により不思議にも蘇生したといわれています。
 万千代は成人すると出家して、本所法恩寺の住職日悦上人の弟子となり名を大権院日巧と改め、大永2年(1522)大法寺を創立しました。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井1-25-38 (善通寺)

江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料
 阿弥陀如来像庚申塔(寛文7年銘)
     昭和59年(1984)2月登録

 舟形で高さ132センチ。善通寺の無量苑の最上段にある阿弥陀如来立像で、銘文に「庚申結衆」とあり、施主有志の名前が列記されています。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会



 善通寺無縁塔の頂上にあり、舟形光背をもつ阿弥陀如来立像の庚申塔で、寛文7年(1667)の造立銘があります。
 60日に1回めぐってくる庚申の日の夜に、近隣の信者が集まって夜明しする講を庚申講といいます。人間の体内にいる三尸という虫が、庚申の夜に抜け出して天帝に罪過を告げ、その人の命を縮めるという中国の道教の教えに由来するもので、仏教や民間信仰も加わって室町時代頃から全国各地にみられました。
 庚申塔は、そうした講の人びとが延命招福を願って建てたものです。江戸時代には、悪疫を退治する青面金剛を本尊とすることが多くなりましたが、初期には阿弥陀や地蔵も多く刻まれました。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区平井1-25-38

 浄土真宗本願寺派で、真光山明証院と号します。千田真太郎宗信(法名蓮真)が、康正年間(1455~1457)に創建したと伝えられています。旧東小松川村にありましたが、大正4年(1915)荒川の開さくにより現在地に移転しました。境内には、千葉家旧家臣秋元刑部左衛門尉胤次、加命堂脳病院創立者奈良林元春の墓があります。

◆中将姫御作蓮糸織曼荼羅阿弥陀如来(寺宝)
 天平年間(729~748)に、中将姫(法名善心法女)が女人往生の証拠として、蓮糸に自ら髪の毛を織り込んでつくった御丈六尺の尊像で、千葉家の守御本尊であったと伝えられています。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会

 境内には『阿弥陀如来像庚申塔(江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料)』があります。


所在地 江戸川区平井3-1

江戸川区登録有形民俗文化財(民俗資料)
 逆井の富士塚
     昭和57年(1982)2月登録



 高さ約5m、区内で最大のものです。建造年代は不明ですが、「当山再築小松川村」と記した明治17年(1884)の碑がありますので、区内で最も古い築造です。
 登山道は、塚の正面に直線で設けられ、石段になっています。頂上の部分を玉垣で方形にとり囲み、石祠を祀っています。登山道の両側には、数多くの石碑が建てられ、地元の丸岩講のもののほか、小松川山元講や平井丸富講の碑もあります。
 この逆井の富士塚そのものが浅間神社です。旧逆井村の人々が、現在でもその維持にあたっています。7月1日に幟を立てて祭礼を行います。
 石積み型の大型なもので、倒壊防止のため、昭和30年代にコンクリートで覆いました。
 昭和53年(1978)3月設置 平成17年(2005)11月改訂
 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-1

 平井の渡しは、行徳道が下平井村で中川を渡る渡船場でした。対岸は葛西川村でした。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』下平井村の項には、「当村(下平井村)の預る所なれば平井渡とよべり」とあります。渡しは江戸時代の初めに設けられ、船1艘で往来の便に供していたと書かれています。


                     「平井聖天宮」(『江戸名所図会』より)

 『江戸名所図会』の「平井聖天宮」の絵には、中川に「平井渡」が描かれ、江戸川区側の正面には鳥居が建てられています。
 行徳道は、江戸と下総の行徳を結ぶ道で、平井の渡しから江戸川区を東南に下り、今井の渡しで江戸川をわたって行徳へ渡りました。渡しはこの説明板からまっすぐ土手にあがった川岸で、説明板脇の細い坂道が当時の行徳道でした。
 明治32年(1899)、渡しのやや東に木橋の
平井橋が架けられて、渡しは廃止されました。平井橋は、大正14年(1925)に、鉄橋に架けかえられ、昭和55年(1980)に現在の橋になりました。
 その後、平成20年(2008)の旧中川の景観整備によって、護岸が現在のように整備されております。
  江戸川区


所在地 江戸川区平井6-12

 安立山と号し、慶長3年(1598)8月12日に安立院日業鐃上人が創建したと伝えられる日蓮宗の寺です。元禄年間(1688~1704)に津波で堂宇を消失しましたが、日信上人が中興し、また大正4年(1913)に日台上人が再興しました。現在の本堂は水害防止のため床を高くしてあり、昭和41年(1966)に改修したものです。



◆田口初右衛門筆子塚(区登録有形文化財)
 読み書きを寺子屋で習った生徒を筆子といい、成長した筆子が師匠の菩提を弔うために建てた供養塔や墓誌を筆子塚とよびます。
 妙光寺の田口家墓所の墓石に「門弟中」と刻まれた初代初右衛門は、文化9年(1812)に寺子屋を開きました。江戸川区内では最も早いものの一つです。初代の教えを受けた筆子たちがこの建立に助力したものと考えられます。同じ墓石に安政4年(1857)に寺子屋を始めた2代目初右衛門の戒名も刻まれています。
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区平井6-17-30

 新義真言宗で、明雅山明王院と号します。山門を入った正面に見える聖天堂は燈明寺の別堂で、妻沼聖天、浅草待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られています。



 草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し享保年間(1716~1735)に京都から赴任した恵祐法印によって再興されました。



 歴代将軍が鷹狩りのときに御膳所に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。
 その後、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあいましたが、当時の関澄道貫主(26世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅な本堂が建立されました。
 澄道貫主は文人としても知られ、正岡子規や伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室は左千夫の設計によるものです。
 平成5年(1993)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-17-36

 祭神は建御名方命で、享保年間(1716~1735)、燈明寺の恵祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
 境内中央の社殿は、昭和42年(1967)に明治100年を記念して建てられ(昭和44年〔1969〕完成)、その旧本殿が境内北隅に移築されています。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会



 境内には『諏訪神社旧本殿(江戸川区登録有形文化財)』、『平井の富士塚(江戸川区登録有形民俗文化財)』があります。




所在地 江戸川区平井6-17-36 (諏訪神社)


江戸川区登録有形文化財
 諏訪神社旧本殿

 天保14年(1843)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えています。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区平井6-17-36 (諏訪神社)

江戸川区登録有名民俗文化財(民俗資料)
 平井の富士塚
     昭和59年(1984)2月登録



 富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
 平井の富士塚は、大正9年(1920)ごろ、旧下平井村の丸星講の人たちによって造られました。登山道が2つに分かれ、1本は頂上に、もう1本は中腹の小御嶽神社に通じています。頂上の石祠には、大正9年(1920)の造立銘があり、小御嶽神社の前には、丸富の講紋と、「小御嶽神社」と刻まれた石祠があります。塚の高さは約1.5メートルです。
 境内の絵馬堂の内壁には、丸富講が大正2年(1913)に奉納した絵馬があります。
 平成14年(2020)1月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-17

 江戸川区登録有形文化財(歴史資料)
下平井の観世音菩薩浅草道石造道標
          昭和58年(1983)3月登録



 道標は、明治以降の地図と比較して精度の低いとされる絵地図類を補うものであり、江戸時代の当地域をめぐる交通史上のきわめて有用な歴史資料です。
 この道標は、行徳道と呼ばれた旧道上にあります。行徳道は、旧中川平井の渡しから東小松川村、西之江村、東一之江村を経て、今井の渡しに達する道筋でした。元の位置はここから東のつきあたりにあり、浅草方面から来た人が平井の渡しを越えて先ず目にした道標でした。「享保19年(1734)甲寅」の観世音菩薩像右脇に「あさくさ道」左脇に「是より佐り、ぎやうとく道」とあります。平成17年(2005)12月、現在地へ移設しました。
 平成18年(2006)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-53-1

 真言宗豊山派で、清瀧山安全院と号し、開山は源理法印といわれています。本尊には阿弥陀如来立像を祀っています。



 門前には遍照講の建立した弘法大師と肉太で刻まれた石柱がたち、門を入って左手の小堀をめぐらした中に弁天堂があります。上野不忍池のほとりに住んでいたある商人の夢枕に弁天様が現れ、平井の池に弁財天を祀るようにとのお告げによって、明治17年(1884)、明治18年(1885)頃に建立されたものです。終戦後からこの弁財天に息災を祈願して、、多数の檀信徒が集まり、大般若経600巻の転読と、節分護摩豆まき会をおこなっています。
 山門は安永7年(1778)、円覚上人の代に建立されました。
 平成元年(1989)3月 江戸川区教育委員会



 境内には『富士塚(江戸川区登録有形文化財・歴史資料)』があります。




所在地 江戸川区平井6-53-1 (安養寺)


江戸川区登録有形文化財・歴史資料

 この富士塚は、明治17年(1884)頃、境内の弁天池を拡張したときの土を盛りあげて築いたと伝えられています。昭和35年(1960)頃まで、毎年7月1日の山開きに白い装束の富士講中の人々が参拝していました。
 高さ5メートルの頂上にある石祠(浅間神社)は、「■■十三庚寅6月吉日、氏子中」と刻まれているもので、文政13年(1830)の造立と推定されます。また、頂上南側の鐘撞き堂は、もと山の脇にありましたが、昭和42年(1967)に、現在地に移築しました。
 昭和60年には、塚の一部を改造して、弘法大師の石造を納めています。
 平成元年(1989)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区平井7-28-5

 旧平井村の鎮守で1874年(明治7年)に村社となりました。創建は明らかでありません。祭神は天照皇大御神、合殿に布都主命武甕槌命を祀ります。別当は安養寺でした。
 2本のある鳥居の注連縄は銅製の鍛造によるもので、1928年(昭和3年)に鳥居を改修したおりに奉納されました。藁で編む注連縄の穂先や根本まで銅板で作られた精巧で珍しいものです。



江戸川区区指定有形文化財(建造物)
 天祖神社本殿



 江戸川区ではほとんど見ることのできなくなった萱葺きの神社本殿で、江戸時代末期の神社建築として貴重な建造物です。主部材はケヤキ(柱はヒノキ、はめ板はスギ)、屋根の萱葺きを銅板で覆っています。屋内には2本の八角の柱を建て、他の柱も内部は八角、外側は円になっています。



 外壁面には鳥をモチーフにした精緻な彫刻が多数あります。松に鶴、梅に鶯、そのほか鶏、雀、雉、鷲、鷺、水鳥などで、脇障子の両面にも彫刻がほどこされています。
 1995年(平成7年)3月 江戸川区教育委員会


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