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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区一之江1 ~ 船堀7

一之江境川親水公園



  舟の往来
江戸時代の一之江境川は水深も深く、農耕のための用水ばかりでなく、舟の往来にも用いられました。一之江新田の記録の中に、川床があがって舟の進行にさしつかえるので、川浚いをしたいという願書があります。
一之江境川のそそぎ込む新川は、江戸川と中川を結ぶ水路で、江戸と行徳の間を往復した行徳船の航路としてもにぎわいました。行徳船は、江戸から成田詣でに行く人びとを多く運んだといわれ、にぎやかな船旅が想像されます。明治になってからの新川は、蒸気船の航路で、おおぜいの人や大量の物資輸送に大きな役割をはたしました。
 平成8年(1996)4月 江戸川区

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所在地 江戸川区一之江7-23-11

日蓮宗
 江久山 蓮光院 感応寺(感應寺)

 


所在地 江戸川区一之江6-19-10

 日蓮宗で、金嶋山妙覚寺等覚院と号します。開山は等覚院阿闌梨日全で、弘安7年(1284)の創建と伝えています。日全は中山法華経寺二世日高の弟子とも、三世日祐の弟子とも伝えています。のちに身延の日進に師事し、「法華問答正義抄」の著述があります。
 日蓮上人木造坐像は、日蓮の高弟である日朗の作と伝えられます。



・紙本墨書大曼荼羅(ニ幅)(区登録有形文化財)

 曼荼羅は、もともと諸尊の悟りの世界を表現したものといわれ、一定の方式に従って多くの仏や菩薩の像を描いた図のことをいいますが、日蓮宗の曼荼羅は各尊を文字で書き表しています。応安元年(1368)と記された曼荼羅は、日祐の筆で、妙覚寺第二世日典に授与されました。嘉暦2年(1327)のものは、妙覚寺開山日全の筆です。

 平成2年(1990)3月  江戸川区教育委員会



        妙覚寺史跡
一.金嶋山等覚院妙覚寺と称する。
当山は、700年の昔、弘安7年5月千葉介六祖頼胤公甥、小納言律師等覚院阿闌梨日全上人が開山しました。
千林坊、正蓮坊と云う塔頭があった日蓮宗の古刹であります。
昭和42年(1967)4月篤信の檀家により奥庭に開山堂が建立されました。昭和57年(1982)5月には、宗祖日蓮大聖人七百遠忌、開山七百年を記念して檀信徒の寄進により、客殿、庫裡が完成しました。
一、第六天宮 所在地江戸川区一之江3-27-2
第六天宮は、妙覚寺の飛地境内地にあります。600年ほど昔、慶安元年(1648)8月15日の夜当山第ニ祖日典上人が勧請しました。境内には、樹令500年以上と云われる御神木”エノキ”があり、江戸川区天然記念物に指定されています。昭和61年(1986)11月社殿を新築しました。
一之江殿
年代不詳古、当の付近に伊達屋敷というところがありました。伊達某の往せし跡と云います。其の辺、馬場、出口等の小名あり、当山の過去帳に、一之江殿善幸としるされているのは、この人のことなりと傳えられています。
一之江保育園
昭和27年(1952)9月5日第三十四世日真が開設しました。宗教法人妙覚寺が経営する。東京都認可の児童福祉施設であります。
一、妙見さまと星祭り
壱千五十年ほど昔、承平5年(935)の頃、千葉氏の祖、平良文将門の乱”小貝川の合戦”に妙見神”北斗七世の主神北極星”を守護神として出陣し戦勝を治めたと云います。後に平氏は、千葉氏と名のり、江戸川河口の小島に妙見神を氏神として祀り、代々の千葉氏が崇拝したと云います。今は、妙見島という地名がのこっています。御神体は当山に安置されたと寺傳にありますが現存しておりません。妙見さまをあつく信仰する篤信の檀家により、当山の年中行事として行っている。妙見様の星祭り”12月22日冬至”に妙見堂を建立し寺傳の如く、妙見様をお祀りしました。
 昭和61年(1986)12月吉日 
 金嶋山妙覚寺 第三十四世露木日真記す。


所在地 江戸川区一之江5-8-20

 妙音寺は真言宗豊山派で医王山不動院と号します。建久元年(1190)秀栄上人の開山といわれ、『江戸名所図絵』などにも記載されている、区内でも有数の古刹です。のち秀誉上人(天正3年入寂・1575)や、大空法印(安永9年入寂・1780)がそれぞれ中興しました。本尊は木造十一面観音立像で桃山時代の作です。そのほか、春日仏師作といわれる薬師如来がまつられています。境内から、南北朝時代などの板碑数基が発見されました。


                             板碑


・木造阿弥陀三尊像 
  (江戸川区指定有形文化財、平成18年〔2006〕3月指定)
 本銅脇壇に安置される三尊です。中尊の阿弥陀如来坐像は鎌倉時代初期の作風を示す秀作です。また、両脇侍(観音・勢至)は南北朝時代(14世紀中頃)に補われたと考えられます。


・片目の鮒の伝説
 むかし、一人の目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を絶ってお祈りしました。すると、満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。

 平成20年(2008)3月  江戸川区教育委員会


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