東京都江戸川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江戸川区一之江1 ~ 船堀7 一之江境川親水公園 舟の往来 江戸時代の一之江境川は水深も深く、農耕のための用水ばかりでなく、舟の往来にも用いられました。一之江新田の記録の中に、川床があがって舟の進行にさしつかえるので、川浚いをしたいという願書があります。 一之江境川のそそぎ込む新川は、江戸川と中川を結ぶ水路で、江戸と行徳の間を往復した行徳船の航路としてもにぎわいました。行徳船は、江戸から成田詣でに行く人びとを多く運んだといわれ、にぎやかな船旅が想像されます。明治になってからの新川は、蒸気船の航路で、おおぜいの人や大量の物資輸送に大きな役割をはたしました。 平成8年(1996)4月 江戸川区 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|