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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区松島1-9-24

 新義真言宗で長松山延命院といい、通称「五分一不動尊」または「いちょう寺」と呼ばれています。天文元年(1532)海成坊が開山し、本尊に春日仏師の作と伝えられる阿弥陀如来座像がまつられています。中興は宥昶法印で承応3年(1654)に入寂しました。
 境内の不動堂に「五分一不動」と称される不動明王と「衣替観音」とよ荒れる正観世音菩薩がまつられています。



■紙本着色地獄図(区登録有形文化財・絵画)
 紙本着色で三幅対の地獄図です。文政13年(1830)に光福寺の什物となりました。江戸時代後期の作と考えられます。
 十王の一人である閻魔王の「閻魔王庁図」に『住生要集』にのっとった〈六道絵〉のうち地獄道の「等活地獄図」と「阿鼻地獄図」のニ幅を加えた三幅構成になっています。
 図柄には中国宋元画の影響がみられます。
 1995年(平成7年)3月 江戸川区教育委員会

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所在地 江戸川区松島2-16-26

江戸川区登録有形文化財(歴史資料)
 四股石造橋桁(部分)



 今では荒川の開削によって消滅しましたが行徳道と元佐倉道が十字に交差するところは四股と呼ばれた交通の要所でした。この橋桁は四股を横切る小川の上に架けられていた橋のものです。架橋当初は板橋であったと想像されますが、いつの頃からか橋下は煉瓦造り、上部は花崗岩となり(石井藤三郎氏談)、現在残っているこの部分は花崗岩でつくられています。現在の所有者増田義男氏宅に移されたのは大正3年(1914)頃だそうですが、水没した四股の旧状を知るうえで貴重な遺亥です。
 昭和58年(1983)3月15登録 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区松島2-18

 ここに五分一橋がありました。
 江戸時代から既に架けられていたようですが、建設年代は特定できていません。
 この地は、江戸と下総佐倉を結ぶ元佐倉道の要衝にあり、逆井の渡しと小岩の渡し をいきかう旅人で、古くから賑わっていたようです。
 昭和5年(1930)に、五分一橋は鉄筋コンクリートの橋に架け替えられました。人馬がいきかう時代から自動車の時代まで、長く人びとの往来を支えつづけてきた橋です。
 昭和57年(1982)に、南北を流れていた川が埋め立てられると、川に架かっていた五分一橋の使命も終わりを迎えることとなりました。
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会






所在地 江戸川区松島3-38-18

 寛永8年(1631)、大和(奈良県)の人秀円僧都が大西氏を従え東国巡錫のとき西小松川に至り、宇田川、関口、宮の各氏に迎えられて建立したのがはじまりと伝えられています。真言宗豊山派、施薬山医王寺と号し、本尊には秘仏の薬師如来をまつっています。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会



 境内には『青面金剛像庚申塔(江戸川区登録有形文化財)』があります。







所在地 江戸川区松島3-38-18 (東福院)

江戸川区登録有形文化財
 青面金剛像庚申塔


 庚申塔は、60日に1度めぐってくる庚申の日の夜に、眠っている人の胎内から三尸という虫が天帝に罪過を告げ命を縮めるという中国の道教の教えに由来する庚申信仰の信者によって建てられました。
 この塔は、もと大進路(旧西小松川村の2つの鎮守、香取神社と天祖神社を結ぶ道)の道筋にあって、昭和31年(1956)に移されました。悪疫を退治する青面金剛を中心とする江戸時代の典型的な庚申塔です。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区松島1 (小松川境川親水公園)

 水神宮

 


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