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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区北小岩3-22-19

 当寺は、元和8年(1622)浅草新寺町に起立され、京都妙顕寺開基龍華樹院日像菩薩の「像」の一字をもって大雄山本像寺と称し、妙顕寺の末でした。延享2年(1745)の同寺「略縁起」は、加賀中納言前田利光の母寿福院尼が一寺を草創したのがはじまりと伝えています。明治43年(1910)に下総真間弘法寺末の晴立寺と合併し、晴立山本蔵寺となり、晴立寺のあった現在地に移転しました。
 晴立寺は、小岩市川関所役人を代々つとめた中根氏の館のあとといわれ、菩提寺と伝えられています。現墓地には、中根平左衛門家の代々合葬墓があります。

 木造日朗・日像聖人坐像
                     (江戸川区指定有形文化財)

 日朗は宗祖日蓮の高弟で、日蓮宗池上門流の祖として知られています。寛元3年(1245)下総国平賀(千葉県松戸)に生まれ、日蓮聖人佐渡配流中も鎌倉にあって教えをひろめ、池上に法華堂(現・本門寺)をはじめとする諸寺を創建し、元応2年(1320)入寂、76歳でした。
 日像は日朗の末弟で、文永6年(1269)下総国平賀に生まれ、7歳で身延山にて日蓮聖人に給仕しました。聖人滅後は、兄の日朗に師事し、後に日蓮上人の遺志をたいし、京都で法華経をひろめ、妙顕寺を拠点とする京都日蓮宗の基礎を築いたといわれています。享年74歳でした。
 この両聖人の坐像は京都妙顕寺の旧蔵品であり、天保6年(1835)に妙顕寺より下賜されたものと伝えられています。寛永19年(1642)に彩色補修が加えられ、妙顕寺十三世日饒、十四世日豊の署名と花押も残っています。製作年代は室町時代と考えられる秀作で、両像とも35センチメートルの小さな坐像ですが、写実性に富み、高僧の面影がよくしのばれます。
 平成12年(2000)9月  江戸川区教育委員会
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所在地 江戸川区北小岩3-23-11

 真言宗豊山派に属し、愛宕山地蔵院と号します。もとは千葉県国分(市川市)の金光明寺の末寺です。起立は文秀法印(慶長12年・1607没)で、本尊は不動明王です。本堂前には常燈明が、墓地には旧伊豫田村(現在の北小岩3丁目ほか)の開拓者・篠原伊豫の墓と伝わる宝篋印塔があります。参道入口には地蔵菩薩庚申塔があります。


所在地 江戸川区北小岩3-23-11 (宝林寺)

江戸川区区登録有形文化財・建造物
 宝林寺の常燈明
     昭和56年(1981)1月登録

 もとは小岩市川の渡し場に建てられていました。昭和9年(1934)に河川改修のためここ寳林寺(宝林寺)境内に移されました。この渡しは江戸時代には成田詣での人たちで賑わいました。この常燈明は千住総講中の人たちによって天保10年(1839)に建てられました。灯籠の高さ2m、台石は五段に組まれていて、高さは1.82mあります。


所在地 江戸川区北小岩3-23-11 (宝林寺)

江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料
 地蔵菩薩像庚申塔
     昭和59年(1984)2月登録
 
 寳林寺(宝林寺)参道入口に他の石仏群と共に祀られています。舟型で地蔵菩薩立像は半肉彫、左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。像高は14.4cm、寛文10年(1670)に建てられました。
 平成18年(2006)1月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区北小岩3

   江戸川区登録史跡 北野神社~蔵前橋通り(道路部分)
 ここは旧伊予田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するとことで南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所(関所)が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』の伊予田村の頃にも、関所は「新町内江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云」と書かれています。
 御番所町は、『徳川実紀』、延宝2年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるもの考えられます。現在も残る角屋旅館のほか、筑前屋、清水屋などの旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、井熊鮨、あめ屋、豆腐屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたと伝えられます。東西道の江戸川に突きあたる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に大きな道標が望めました。道標は今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明宝林寺内)や、関所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、当時にゆかりのある旧跡がよく残っています。
 



所在地 江戸川区北小岩3-23-3

 旧伊予田村(現在の北小岩3・4丁目)の鎮守です。江戸時代にはこの地にあった稲荷神社と北方の北野神社が明治42年(1909)に合祀され、今の北野神社となりました。昭和39年(1964)には一里塚近くにあった須賀神社を合祀し、そこで行われていた茅の輪くぐりをここで行うようになりました。祭神には稲荷神社の倉稲魂命と北野神社の菅原道真、それに須賀神社の素戔嗚尊を加えた三柱を祀ってあります。




・茅の輪くぐり(区指定無形民俗文化財)
 直径3メートルに及ぶ大きな茅の輪を作って境内に立て、氏子たちが家族の氏名や年齢を書いた人形を持って茅の輪をくぐり、無病息災を願う夏越しの行事です。毎年6月25日の例祭日に行われます。茅の輪くぐちが終わると大祓いの式を行い、昔は人形を江戸川に流しました。素戔嗚尊が茅の輪で流行病を防ぐことを村人に教えたという故事による行事です。
 平成6年(1994)3月 江戸川区教育委員会

 境内には『力石』があります。



所在地 江戸川区北小岩3-23-3 (北野神社)

 江戸時代から昭和の初期まで多くの集落で行われていたのが「力石」を用いての力くらべ(力持ち)である
本力石は日本一の力持ちといわれた三ノ宮卯之助(1807~1854)が持ち上げたとされる
東京で唯一現存する力石で卯之助の名前と三十八貫目と印されている


所在地 江戸川区北小岩4-27

 正真寺境外仏堂の観音堂は 光ヶ嶽観音堂(てるがたけかんのんどう)と号し弘法大師の大曼荼羅戒壇前にて鋳造された小金像をお祀りしています。
 光ヶ嶽観音は一寸八分(約6cm)ほどですが室町時代末期の武将里見義豊 義俊の守り本尊で常に甲冑に収め戦場に赴いたと伝えられております。
 その後 観音像は千福寺(現存せず)に安置されましたが里見家子孫に至って供養を怠ったところ文禄元年(1592)地元の沖田家祖先豊前の枕元で大きな音が響き驚いた豊前が跳び起きると観音像が立っていたといいます。
 翌朝豊前が千福寺に詣でるとそこに観音像はなく 豊前は屋敷内にお堂を建立以来 観音像は江戸 明治 大正 昭和 平成と通じて北小岩の信仰となったものです。 地元の由緒ある文化財といえるでしょう。
 また勝手のお堂は火災 戦災で被害を受けた人たちに貸し出されたりお年寄りの集い踊りの稽古場にも利用され馴染み深い観音堂なのです。
 地元の皆様のご協力を得て堂宇再建の機にその由来を記す。

 平成19年(2007)8月吉日
 正真寺住職 田嶋信雄 世話人一同


所在地 江戸川区北小岩4-41-6

 真言宗豊山派で稲荷山遍照寺と号し、慶弔7年(1602)に法印良鑁(ほういんりょうばん)が開山したと伝えられています。本尊に木造阿弥陀如来立像を安置しており、寺宝として弘法大師筆と伝えられる「鼠心経(ねずみしんぎょう)」を所蔵しています。
 昭和47年(1972)に萱葺きの本堂から鉄筋コンクリート造に立て替えられました。門前に青面金剛と馬頭観音が祀られ、境内には樹齢200年といわれるケヤキとスダジイがそびえています。

・木造閻魔王坐像(区登録有形文化財)
 寄木造りのこの像は、本堂内に祀ってあります。像高約81センチ。左手は掌を仰向けて膝の上にのせ、右手に笏を握っています。顔は忿怒の相で口を開き、胸飾りに日月をあらわしています。
 銘はありませんが、江戸時代後期に、檀家によって家族の供養のために寄進されたもので、その頃の作と考えられます。

 平成6年(1994)3月  江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩7-27-5

 正真寺は真言宗豊山派で、神明山西光院と号します。開山は暁覚法印で慶長6年(1601)に入寂しました。現在の本堂は唐破風様式の鉄筋コンクリート造で、昭和43年(1968)10月の再建です。寺宝としてはチベット語の教典が多数あります。

・小岩田の庚申塔ばんどう道石造道標
   昭和58年(1983)2月登録
   区登録有形文化財・歴史資料
 享保8年(1723)に建立された青面金剛の刻像庚申供養塔で、像の脇に「これより左ばんどうみち」と刻まれています。坂東道ならば、観音霊場の道、つまり岩槻道か浅草道をさしていると考えられます。

・真田周作筆子塚
   昭和62年(1987)2月登録
   区登録有形文化財・歴史資料
 寺子屋師匠だった真田周作夫妻のために、筆子(生徒)たちが建てました。真田周作は天保4年(1833)没。墓地は右手奥にあります。

 平成14年(2002)12月  江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩2-37-15

 日蓮宗で、妙法華山と号します。応安3年(1370)中山法華経寺の第3世日祐上人が、一寺を建てたのが始まりです。本尊は、日限満願日蓮大菩薩像です。日蓮聖人が富木播磨守(ときはりまのかみ)の館で、百日説法をした時、聖人に長く留まっていただきたいという願いを込めて富木氏が彫刻しました。満願の日に完成したので聖人は自らこの像の開眼をしました。
 この尊像は、日限祖師ともいわれています。寺宝として、天保11年(1840)起刻の、法華経28品御鬮版木と、安政6年(1859)起刻の略縁起版木があります。境内にある梵鐘は、藤原定篤の作です。また、本堂の前庭にある老松は、瑞鳳の松と称し、姿も美しく1本の枝は山門まで長く伸びています。



◆柴又帝釈天石造道標
昭和61年(1986)2月登録
江戸川区登録有形文化財・歴史資料
 佐倉道の要衝に、天保4年(1833)に建てられた高さ130センチの道標です。
 平成13年(2001)1月 江戸川区教育委員会


                                     瑞鳳の松


所在地 江戸川区北小岩5-17-10

 天祖神社は、万延元年(1860)2月の創建で、天照大神を祀っています。慶応3年(1867)6月に、現在の社殿に改装されました。もとは神明社と称しました。
 平成14年(2002)1月 江戸川区教育委員会



 境内には『イチョウ(江戸川区指定天然記念物)』があります。


所在地 江戸川区北小岩5-17-10 (天祖神社)

江戸川区指定天然記念物
 天祖神社のイチョウ
     昭和56年(1981)1月指定 



 境内の2本のイチョウは、ともに樹齢300年以上と考えられますが、今なお、良好な樹勢を保っています。
 東側の樹は、樹周2.32メートル、樹高約20メートル。
 西側の樹は、樹周2.4メートル、樹高約25メートル。区内で一番の高さを誇る、美しいイチョウです。
 平成14年(2002)1月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩5-32-5

 十念寺は真言宗豊山派で巌松山無量寿院と号します。元和7年(1621)賢覚によって開山されました。本尊の木造阿弥陀如来立像は弘法大師の作とつたえられています。



◆銅造観音菩薩立像(江戸川区指定有形文化財・平成18年〔2006〕3月指定)
 銅造りのこの像は、本尊阿弥陀如来立像の左脇侍像(向かって右側)で、像高約34センチです。当初一光三尊の善光寺式阿弥陀三尊像の脇侍像として造立されたと考えられます。鎌倉時代後期作と推定されます。

◆板碑・元応元年(1319)12月日銘(江戸川区指定有形文化財、昭和57年〔1982〕2月指定)
 元応元年(1319)に作られた板碑です。十念寺旧本堂の縁の下から発見されました。



◆法印範盛筆子塚(江戸川区登録有形文化財、昭和62年〔1987〕2月登録)
 境内奥に当寺13世法印範盛の筆子塚があります。文久2年(1862)に入寂した範盛の徳を偲び、文久4年(1864)に建立されました。銘文には上小岩村、小岩田村、伊予田村、御番所町、中小岩村の人々の名が刻まれ、範盛が近郷の子弟たちの教育に力を注いだことがうかがわれます。

◆中小岩の庚申塔河原道石造道標(江戸川区登録有形文化財、昭和58年〔1983〕3月登録)



◆中小岩の庚申塔市川道石造道標(江戸川区登録有形文化財、昭和58年〔1983〕3月登録)
 ともに十念寺の大師堂内に安置されています。河原道石造道標は文化10年(1813)9月に建てられ「右両国江三り、左市川江三丁、左松戸
江一り、右河原江一り」と刻まれています。市川道石造道標は青面金剛像の右側面に「左いちかわみち」と刻まれています。



 平成20年(2008)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩8-23

 祭神は誉田別尊、相殿に倉稲魂尊をまつっています。壮健は不詳ですが、元禄8年(1695)の記録には神社の名がみられます。



◆地蔵菩薩像庚申塔(万治元年銘)
江戸川区登録有形民俗文化財
 この地蔵は、詩人として知られる北原白秋縁の三谷の地にあって、三谷地蔵として親しまれ、現在は境内右奥にある社務所の中に安置されています。銘文から、万治元年(1658)、庚申供養のために造立したことが知られます。庚申塔は、60日に1度めぐってくる庚申の日の夜に、眠っている人の体内から三尸という虫が天帝に罪過を告げ命を縮めるという中国の道教の教えに由来する庚申信仰の信者によって建てられました。
北原白秋の歌碑 
 昭和36年(1961)、地元の人びとによって建てられました。境内入口の右側にあります。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩8-23 (八幡神社)


いつしかに 夏のあわれと なりにけり
     乾草小屋の 桃色の月


 明治から昭和にかけて高雅な詩や歌で有名な北原白秋(1885~1942)は、大正5年(1916-32歳の時)7月から約1年間、妻章子とともに、この小岩村字三谷の乾草商富田家の離れに居を構えました。ここを、「紫
烟草舎」(現在、市川市里見公園内に復元建設)と名付け、葛飾の風土や刃傷に見守られながら、短歌雑誌「煙草の花」を創刊したり、数多い短歌や詩、小品集などの素材を得ました。
 昭和36年(1961)、地元小岩町(現在の北小岩)の人びとは、白秋がこの江戸川べりの農村に住み、風物を愛したことをしのび、八幡神社の境内に彼の歌碑を建てました。
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩6-39-22

 上小岩天祖神社





 上小岩天祖神社には『国常立尊』があります。

 


所在地 江戸川区北小岩6

 上小岩遺跡
 上小岩遺跡は、区内で最も古くて大きな遺跡とみられ現在の北小岩6・7丁目付近と推定されています。この地域はもとの上小岩村にあたることから遺跡名を上小岩遺跡とよんでいます。
 上小岩遺跡は、昭和27年(1952)に当時の小岩第三中学校の生徒が自宅裏の用水路から土器片を発見し、同校の中村教諭に連絡したことからその存在が知られるようになりました。その後、中村氏らの調査により、この遺跡が古墳時代前期(今から約1600年前)をy通信とする低地の集落遺跡であることがわかりました。
 出土品は、弥生時代中期のものから発見されており、古墳時代前期の土器類が中心です。とくにS字状の口緑をもつ台付カメが大量に出土したほか、土錘も多く出土し、半農半漁の生活をしていたことがうかがえます。
 また、ンらの正倉院文書に養老5年(721)の下総国葛飾郡大嶋郷の戸籍があります。この中の甲和里という集落が小岩にあたると推定されていますが、これまでの調査でこれを裏づける集落跡が発見されていません。当時の出土品も少ないため、戸籍に見られる集落の存在確認は、今後の調査に期待されています。
 昭和63年(1988)3月 江戸川区教育委員会


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