東京都江戸川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江戸川区平井1-25-37 宝聚山と号し、日蓮宗の古刹です。創立当初は、本所にありましたが、昭和4年(1929)に現在地に移転しました。 つたえるところによれば、建長5年(1253)の夏、日蓮聖人が房州清澄山から鎌倉に向かう途中、亀戸の地を通ったおり、同地の住人、千葉某が聖人の教えに帰依したので、聖人は七文字の題目を書いて与えました。千葉氏はこれを石に刻み、宝塔を建てました。人々は、聖人が「広宣布石」と呼び、参拝祈願するようになりました。 その後、数代を経て、千葉常明の一子、万千代が疱瘡を病んで死にましたが、広布石の功徳により不思議にも蘇生したといわれています。 万千代は成人すると出家して、本所法恩寺の住職日悦上人の弟子となり名を大権院日巧と改め、大永2年(1522)大法寺を創立しました。 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|