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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区東葛西7-17

 旧東宇喜田村中割の鎮守で、慶安2年(1694)邵値阿闍梨が天照大神の分神を勧請したのが始まりとされてます。もとは神明社とよばれ、明治5年(1872)に天祖神社と改称されました。当社は、区画整理に伴う道路建設等により平成元年(1989)3月、東葛西9丁目5番地から現在地に移転し、社殿も新築されました。
 境内には『中割の富士塚』があります。



  天祖神社の棟札(区登録有形文化財)
 旧本殿内部に保有されていました、12枚あるうち、最も古いものは、『慶安2年9月廿9日』の年記と、『邵値法印』の名が記されています。区内旧村在住者の大工の名、各時代の氏子の名が克明に記されており、中割築の村落構成の様相をうかがうことができます。(保管場所・江戸川区郷土資料室)
  平成2年(1990)3月  江戸川区教育委員会



  天祖神社沿革
 本社は慶安2年(1649)旧東宇喜田村中割の鎮守として昇覚寺開祖邵値阿闍梨が、天照皇大御神を勧請し建立したことに始まる。別当は昇覚寺がこれを務め
、創建時代は「大名神宮」と称し後に「神明社」「神明宮」と改称される。
 明治5年(1872)本社が村社となるに及んで、別当は神職に委ねられ名も天祖神社と改称し、爾来、本村の氏神守護神社として、多くの氏子を擁し敬虔な信者を中心に、近村に及ぶ信仰をあつめるに至った。
 本社は創建以来、数度に亘り再建されたが、今回、区画整理事業都市計画街路補助道建設棟の事由により東葛西9丁目5番1号から余儀なく換地先現在地へ移転。5たびの造営となり昭和63年(1988)3月から工期1ヶ年余を費やし、社殿、水屋、社務所を新築。鳥居、狛犬、敷石を荒t画にして、端垣を増設植樹を為す。灯篭・富士塚・疱瘡神・顕彰碑等はその侭移転整備した。造営にあたっては、町民挙ってこの一大事業に深大な支援協力を得た。併せて篤志家のご厚志を仰ぎ、勧進した浄財と葛西土地区画整理組合からの移転補償金を以てこれに充て、平成元年(1989)3月竣工をみる。この業績を記念し経緯を永く沿革としてしるす。
  平成元年(1989)3月吉日   中割天祖神社建設委員会
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