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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区中葛西5-36-17

新義真言宗
 潮林山 二尊院 正應寺(正応寺)







 


所在地 江戸川区東葛西1-45-29

 下今井香取神社
本宮は千葉県佐原市香取に鎮座し経津主大神を御祭神としてお祀りしております。
大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島大神(鹿島神宮)と共に出雲の国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸し荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又、東国(現関東)開拓の大業を完遂されて平和国家の建設と民生の安定、福祉に偉大なる御神意を顕された。(香取神宮由緒による)
下今井香取神社は経津主大神を御祭神とし、毎年10月15日を御祭礼日と定め、町内氏子各位の御安泰と御繁栄を御祈願しております。
本殿の御造営は記録に載ってないが江戸時代中期と言われ明治6年(1873)に改修が行なわれたと言い伝えられ、その後補修をしつつ、平成7年(1995)7月氏子様ほか関係各位の奉納を頂き大改修が行なわれました。又同時に社務所も新築され現在に至っております。
尚、平成18年(2006)10月境内に水屋を建立し御参拝の皆様がお浄めし、尚一層神神しくお参りする事ができるようになりました。
境内には水神様(水波之女神)をお祀りし毎年7月15日を御祭礼日と定め水難防止を御祈願致しております。
毎年12月31日大晦日にはお炊き上げを行い、1年間の不浄を御祓いし、除夜の鐘と共に新年の初詣を行なっております。
経津主大神の御神徳は勝運の神、心願成就、交通安全の神、災難除けの神として多くの人々に御参拝を頂いております。
下今井香取神社は長島町、桑川町(旧町名)との境に在り境の宮とも言われております。
 平成15年(2003)1月(平成18年〔2006〕増修) 下今井香取神社 氏子中
 





 


所在地 江戸川区東葛西8-22-1 (東葛西コミュニティ公園)

 東葛西土地区画整理事業竣工記念碑
 かつての東葛西は、潮の香、波の音、そして縦横に水路の流れるのどかな田園地帯でありました。
 昭和30年代から始まった、天然ガス採取や地下水の汲み上げは、著しい地盤沈下をまねき、東京湾の海水が逆流するなど、耕作不能な土地となりました。
 昭和40年(1965)、土地区画整理事業の都市計画決定にあわせ、地域自らのまちづくりを目指しました。地域の思いを結集するために時間を要しましたが、昭和62年(1987)、土地区画整理組合を設立し、事業を開始しました。
 以来、20年あまりに及ぶ事業により、まちは全く装いを新たにその姿を現しました。
 ここに、新しく居住する人たちも増え、東葛西小学校や東葛西コミュニティ会館を招致することができました。
 これは、組合員の熱意と郷土愛、そして東京都及び江戸川区との協働のまちづくりの結晶であります。
 この私たちの誇りとするまちづくりを後世に伝えるとともに、かがやく未来を祈念し、ここに記します。
 東葛西土地区画整理組合 理事長 篠原肇夫


所在地 江戸川区東小松川3-7-20

 白髭神社







 白髭神社には『浮洲浅間神社』、『神輿庫』があります。


所在地 江戸川区東小松川3-7-20 (白髭神社)

 神輿庫
 旧神輿庫は、昭和15年(1940)三部落三町会合併に伴ない、旧渡し場の神輿庫を移設し、大型(大江川・現第二部)中型(入之庭・現第一部)小型及び獅子頭一対(渡し場・現第三部)の神輿三体等共に収納するようになり、移動したため大型中型二体の神輿は、空襲の戦火により危うく焼失を免れることができた極めて由緒ある建物であった。
 カサリン、キティ台風等による、たび重なる水害のため、かさあげ補修工事を施工したが、木造建築の耐用限界を遥に超え老朽化が進み、他方神輿も部分的修理は施したものの、漆塗、金具の欠落が目立ち、心棒の割れも又甚だしきに至る。
 昭和63年(1988)翌年が大祭年、神輿作成70周年(三体平均)に当るため記念事業として神輿庫建替、神輿等完全修復を発意し、諸準備推進中奇しくも平成元年(1989)と改元された。
 表記の人々の浄財により、多年の懸案がすべて解消し、ここに、建坪、設備等当初計画を超えた新神輿庫の完成をみることができた。
 特記すべきは、浅子神輿(行徳)への修理のための移送日、引取日、大祭渡御日と季節外れを含め三度台風に遭遇、しかも、二日間の大祭夜間行事時には、奇跡的に晴れたことであり関係者一同、苦労の末購入された先人の大きな喜びのあかしを感ぜざるを得ない。
 願わくは、風雪に耐え、後人、地域の宝として、永久に保存されんことを。
 平成元年(1989)12月吉日
 東小松川南町会 会長 大野一男 役員一同



所在地 江戸川区東小松川3-7-20 (白髭神社)

 浮洲浅間神社
 旧東小松川村飛地(現中川水路)の鎮守で現在白髭神社に合祀されている。創建年月は不詳だが、区内では屈指の古社と伝えられ、江戸の初め慶安元年(1648)に、3代将軍徳川家光から御主印六石を与えられた由緒ある神社で、祭神として天日鷲彦命を祀る。
 当神社の創祀にまつわる伝説によると、「浮洲はもとわずかな寄洲で、漁猟に出る舟はここで潮待ちすることになっていたが、ある時貝取りの舟が潮待ちしていると、浅間(木花咲耶姫神)さまのお札が流れついた。そこで漁師が砂をかき寄せそこにお札を納めて置いたところ、いつしか浮洲となり、やがて浅間神社が建てられるようになった。」という。
 浮洲浅間神社については、成田参詣記にも記され、「神宝に古鏡二面を蔵す」とある。
 昭和53年(1978)11月 江戸川区教育委員会












所在地 江戸川区東小松川3-10-17

真言宗豊山派
 医興山 正徳寺

 


所在地 江戸川区東小松川3-22

 水神宮
 当地区は昔は低湿地帯であったので、洪水に悩まされ、そう言う意味で洪水除けの神として、さらに川を交通の場として利用していたので、水難除けの神として祀られておりました。
 又、この地域は一面水田地帯でしたので、農家の人達にとって、水を司どる農耕の神様として、さらに地元の人々にとって流行病や厄をもたらす悪霊を鎮める神として、又日常生活において使用する水を司どる神として、富をこの世にもたらす神として、水神様は水界とこの世の境界に祀られ、絶えず水でこの世を更進する水神様として祀られております。

由来について
 旧東小松川村には、上之庭、新道、中之庭、入之庭、大江川、渡し場、品清の集落があり、それぞれに水神様が祀られておりました。
 その後、渡し場、大江川、入之庭にそれぞれ水神講が組織されて、近年この三地区の町会が合併し、講集団は、そのまま渡し場、大江川、入之庭の各水神講として残りました。
 現在も渡し場、大江川、入之庭の各水神講が毎年6月24日・25日の祭礼日に行事を行なっております。24日は宵宮で葛西囃子が奉納されております。
  
  
 

 この入之庭の水神講は江戸川区登録無形民族文化財、風俗慣習として平成12年(2000)2月22日登録されております。















所在地 江戸川区南葛西6-23

 江戸川区立 富士公園(江戸川総合レクリエーション公園)



 富士公園内には『江戸川富士』があります。


所在地 江戸川区南葛西6-23 (富士公園)

 江戸川富士








                  江戸川富士 山の高さ 海抜11m


所在地 江戸川区東葛西3-3-16 (清光寺)

 青柳三酉筆子塚
 東葛西の清光寺の墓地には、表裏を平に磨いた厚さ10cmほどの自然石に「青柳譲教三酉信士霊」と刻んだ墓石があります。
 これは俗名青柳三酉の墓で、背面に「本邨筆子中」とあり、明治12年(1879)9月の三酉没後にその生徒たちによって建てられたと考えられます。
 青柳三酉は、文久2年(1862)長島村で寺子屋「長運堂」を開業し、読み書きを教えました。平井の田口初右衛門の開業より50年ほどおくれますが、農家を借りて開業していた寺子屋としては、古いもののひとつと言えます。
 明治に入ってからも教授を続け、明治6年(1873)からは家塾として引き続き教授にあたり、明治12年(1879)9月29日に69歳で亡くなりました。家塾開業時の生徒は、男子22名、女子14名の36名でした。家塾というのは、明治5年(1872)に発布された学制のなかに「私宅ニ於テ之ヲ教ルモノハ之ヲ家塾トス」とあるように、それ以前の寺子屋にあたります。






所在地 江戸川区北葛西1-16-51

 豊栄稲荷神社
豊受姫命を主神とし誉田別神を合祀する。元禄3年(1690)の創建と伝えられる古刹です。明治元年(1868)に浅間神社の兼務となりました。
 境内には稲荷大名神の小祠のほか何れも石製の稲荷鳥居と八幡鳥居・手水舎・狛犬一對・常夜灯一對・百度石・力石などがあります。
なお当社務所の堂宇は弘法大師を祀る新四国第5番の霊場ともなっており、毎年4月21日には区登録無形民族文化財指定「葛西大師まいり」の巡礼者一行が立ち寄り経をあげ勤行します。









 豊栄稲荷神社には『力石』があります。


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