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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区東小松川2-1-15

 真言宗豊山派で無量山光明院といいます。本尊は行基作と伝えられる木造阿弥陀如来坐像です。開基年月は不詳ですが、開山の宥賢上人は永禄11年(1568)正月15日に入寂しました。はじめは長福寺と称しましたが、9代将軍家重の幼名長福丸をはばかって永福寺と改称しました。
 1995年(平成7年)3月 江戸川区教育委員会



境内には『法印頼尊筆子塚(ほういんらいそんふでこづか)(江戸川区登録有形文化財・歴史資料)』があります。


所在地 江戸川区東小松川2-1-15 (永福寺)

区登録有形文化財・歴史資料
 寺子屋の生徒を筆子といい、成長した筆子が師匠の菩提を弔うために建てた供養塔や墓石を筆子塚といいます。
 永福寺の筆子塚は方形の墓石で、頂きには地蔵菩提立像を載せています。墓石の側面に「諸旦方筆弟子」と刻まれ、頼尊が檀家の指定の筆道師匠の筆子塚としては区内でも古いものです。頼尊は永福寺住職で明和3年(1766)に入寂しています。
 1995年(平成7年)3月 江戸川区教育委員会




所在地 江戸川区東小松川2-1-16

真言宗豊山派
 香取山 宝積院(寳積院) 松泉寺

ご本尊 阿弥陀如来像



 宝積院は、室町時代の板碑を有する歴史ある寺院です。境内に入ってすぐ右手の銀杏は大きくて立派。戦災で焼けた跡が幹に残り痛々しいものの、新しい幹が傷を覆うように成長しています。



江戸川区保護樹〔 樹木名:イチョウ 指定番号:9 〕


所在地 江戸川区東小松川2-7-16

 真言宗豊山派で、香長山円通院と号します。本尊は、木造聖観世音菩薩立像。中興開山は、賢専法印(永禄2年・1559入寂)。堂宇は昭和20年(1945)3月の大空襲で焼失しましたが、昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造りに新築されました。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会

境内には『板碑(江戸川区指定有形文化財・歴史資料)』があります。

 
所在地 江戸川区東小松川2-7-16 (泉福寺)

江戸川区指定有形文化財(歴史資料)
 板碑 徳治3年(1308)3月日銘
     昭和58年(1983)3月指定



 材質は緑泥片岩、高さ74センチメートル、幅22センチメートルです。鎌倉時代の板碑で、釈迦如来の種子(凡字)が描かれています。
 裏面に刻まれた出土由来によれば、弘化3年(1846)に、本堂の南地中から出現したとあり、当時造られた石碑の中に保存されています。
 板碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて造られた供養碑です。特に、鎌倉時代のものは区内でも数少なく、歴史資料として貴重です。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区東小松川2-16 

 浄土宗に属し、壽覚山無量院と号します。天正元年(1573)に普光観智國師が開山しました。3代将軍家光公から御朱印地6石を授かった名刹です。また、宇喜新田を開拓した宇田川喜兵衛定氏の菩提寺でもあります。防火用に周囲に堀を巡らしたので、「堀まき寺」といわれました。
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会

境内には『青面金剛像庚申塔(江戸川区登録有形文化財・民俗資料)』、『福森久助墓(江戸川区登録史跡)』があります。


所在地 江戸川区東小松川2-16 (源法寺)

江戸川区登録有形民俗文化財(民俗資料)
 青面金剛像庚申塔
     昭和59年(1984)2月登録



 高さ127センチの舟形で、上部に青面金剛像と下部に三猿が彫られています。寛文3年(1663)の銘があります。
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区東小松川2-16 (源法寺)


江戸川区登録史跡
 福森久助墓
     平成元年(1989)2月登録


 狂言作者初代福森久助は明和4年(1767)江戸本所に生れました。「男山娘源氏」で初めてその名があらわれ、市村座の立作者となりました。世話物の脚本を得意とし、常磐津、長唄にも優れた作詞を残しました。文政元年(1818)に52歳で没し、源法寺に葬られました。
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区東小松川3-3-19

 真言宗豊山派に属し、医王山薬王院と号します。本尊は大日如来です。起立の年月は不詳ですが、開山は隆範上人で大永2年(1522)に入寂、万治3年(1660)入寂の頼玄上人が中興したといわれています。慶安元年(1648)3代将軍家光より6石の御主因地を受けた名刹で、古くから浮洲浅間神社の別当をつとめました。文政10年(1827)寺普請の時に地中から発見されたという銅碑墓版を所蔵し、それについては「成田参詣記」などにも記載されています。この寺は通称「相撲寺」といわれていますが、横綱明石志賀之助が元禄12年(1699)に境内で引退相撲を行ったのをきっかけに、以来毎年不動尊の縁日には草相撲が行われていたことによります。



◆旧葛西学校跡
昭和62年(1987)2月登録 区登録史跡
 江戸川区最初の公立小学校「葛西学校」は、この善照寺を教場として、明治9年(1876)10月に開校しました。校舎を新築し、移転する明治14年(1881)1月までここを教場としていました。
 昭和52年(1977)11月設置
 平成18年(2006)3月改訂 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区南小岩6-16-27

 旧神明社。創建は不詳、円蔵寺が別当だった。




所在地 江戸川区平井1-24-33

 天台宗で、嘉桂山西光院と号します。もとは本所竹町にありましたが、明治14年(1818)現在地に墓地を移し、昭和2年(1927)に本堂その他の建物を移転しました。本所にあったころ、門前に枳(からたち)の木が並んでいたので、通称「からたち寺」と呼ばれ、今でもその名は通じています。
 嘉祥元年(848)慈覚大師が開山し、正和3年(1314)舜慶法印が中興したものと伝えられています。
 本尊は木造阿弥陀如来立像です。寺宝に神田宗庭筆の千手観音像を所蔵しています。



 墓地には、越知二楽(兵学家)、荻野楳塢(仏教学者)、寺島梅里(画家)、清元延寿太夫(清元)、那波征甫(浅草紙創始者)、山本梅痴(画家)などの墓があります。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区平井1-25-31

 天台宗で牛宝山明王院と号し、大正2年(1913)に、本所表町(現・墨田区)から現在地に移転しました。開山は、貞観2年(860)で、慈覚大師の建立です。
 墓地には烏亭焉馬(戯作者)、富田木歩(俳人)の墓および、柔道界の鬼と言われた徳三宝の頌徳碑と同夫妻の墓があります。


 
◆木像不動明王坐像
正和56年(1981)1月登録 江戸川区登録有形文化財・彫刻
 像高は127センチです。本所表町にあった最勝寺の末寺、東栄寺の本尊でした。江戸五色不動(目青・目赤・目黄・目白・目黒)のひとつ「目黄不動」の名で知られています。名像良弁の作といわれ、将軍家の信仰が厚かったといわれています。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井1-25-37

 宝聚山と号し、日蓮宗の古刹です。創立当初は、本所にありましたが、昭和4年(1929)に現在地に移転しました。
 つたえるところによれば、建長5年(1253)の夏、日蓮聖人が房州清澄山から鎌倉に向かう途中、亀戸の地を通ったおり、同地の住人、千葉某が聖人の教えに帰依したので、聖人は七文字の題目を書いて与えました。千葉氏はこれを石に刻み、宝塔を建てました。人々は、聖人が「広宣布石」と呼び、参拝祈願するようになりました。
 その後、数代を経て、千葉常明の一子、万千代が疱瘡を病んで死にましたが、広布石の功徳により不思議にも蘇生したといわれています。
 万千代は成人すると出家して、本所法恩寺の住職日悦上人の弟子となり名を大権院日巧と改め、大永2年(1522)大法寺を創立しました。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井1-25-38 (善通寺)

江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料
 阿弥陀如来像庚申塔(寛文7年銘)
     昭和59年(1984)2月登録

 舟形で高さ132センチ。善通寺の無量苑の最上段にある阿弥陀如来立像で、銘文に「庚申結衆」とあり、施主有志の名前が列記されています。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会



 善通寺無縁塔の頂上にあり、舟形光背をもつ阿弥陀如来立像の庚申塔で、寛文7年(1667)の造立銘があります。
 60日に1回めぐってくる庚申の日の夜に、近隣の信者が集まって夜明しする講を庚申講といいます。人間の体内にいる三尸という虫が、庚申の夜に抜け出して天帝に罪過を告げ、その人の命を縮めるという中国の道教の教えに由来するもので、仏教や民間信仰も加わって室町時代頃から全国各地にみられました。
 庚申塔は、そうした講の人びとが延命招福を願って建てたものです。江戸時代には、悪疫を退治する青面金剛を本尊とすることが多くなりましたが、初期には阿弥陀や地蔵も多く刻まれました。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区平井1-25-38

 浄土真宗本願寺派で、真光山明証院と号します。千田真太郎宗信(法名蓮真)が、康正年間(1455~1457)に創建したと伝えられています。旧東小松川村にありましたが、大正4年(1915)荒川の開さくにより現在地に移転しました。境内には、千葉家旧家臣秋元刑部左衛門尉胤次、加命堂脳病院創立者奈良林元春の墓があります。

◆中将姫御作蓮糸織曼荼羅阿弥陀如来(寺宝)
 天平年間(729~748)に、中将姫(法名善心法女)が女人往生の証拠として、蓮糸に自ら髪の毛を織り込んでつくった御丈六尺の尊像で、千葉家の守御本尊であったと伝えられています。
 平成13年(2001)11月 江戸川区教育委員会

 境内には『阿弥陀如来像庚申塔(江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料)』があります。


所在地 江戸川区平井3-1

江戸川区登録有形民俗文化財(民俗資料)
 逆井の富士塚
     昭和57年(1982)2月登録



 高さ約5m、区内で最大のものです。建造年代は不明ですが、「当山再築小松川村」と記した明治17年(1884)の碑がありますので、区内で最も古い築造です。
 登山道は、塚の正面に直線で設けられ、石段になっています。頂上の部分を玉垣で方形にとり囲み、石祠を祀っています。登山道の両側には、数多くの石碑が建てられ、地元の丸岩講のもののほか、小松川山元講や平井丸富講の碑もあります。
 この逆井の富士塚そのものが浅間神社です。旧逆井村の人々が、現在でもその維持にあたっています。7月1日に幟を立てて祭礼を行います。
 石積み型の大型なもので、倒壊防止のため、昭和30年代にコンクリートで覆いました。
 昭和53年(1978)3月設置 平成17年(2005)11月改訂
 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区平井6-1

 平井の渡しは、行徳道が下平井村で中川を渡る渡船場でした。対岸は葛西川村でした。江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』下平井村の項には、「当村(下平井村)の預る所なれば平井渡とよべり」とあります。渡しは江戸時代の初めに設けられ、船1艘で往来の便に供していたと書かれています。


                     「平井聖天宮」(『江戸名所図会』より)

 『江戸名所図会』の「平井聖天宮」の絵には、中川に「平井渡」が描かれ、江戸川区側の正面には鳥居が建てられています。
 行徳道は、江戸と下総の行徳を結ぶ道で、平井の渡しから江戸川区を東南に下り、今井の渡しで江戸川をわたって行徳へ渡りました。渡しはこの説明板からまっすぐ土手にあがった川岸で、説明板脇の細い坂道が当時の行徳道でした。
 明治32年(1899)、渡しのやや東に木橋の
平井橋が架けられて、渡しは廃止されました。平井橋は、大正14年(1925)に、鉄橋に架けかえられ、昭和55年(1980)に現在の橋になりました。
 その後、平成20年(2008)の旧中川の景観整備によって、護岸が現在のように整備されております。
  江戸川区


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