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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区北小岩5-17-10

 天祖神社は、万延元年(1860)2月の創建で、天照大神を祀っています。慶応3年(1867)6月に、現在の社殿に改装されました。もとは神明社と称しました。
 平成14年(2002)1月 江戸川区教育委員会



 境内には『イチョウ(江戸川区指定天然記念物)』があります。
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所在地 江戸川区北小岩5-17-10 (天祖神社)

江戸川区指定天然記念物
 天祖神社のイチョウ
     昭和56年(1981)1月指定 



 境内の2本のイチョウは、ともに樹齢300年以上と考えられますが、今なお、良好な樹勢を保っています。
 東側の樹は、樹周2.32メートル、樹高約20メートル。
 西側の樹は、樹周2.4メートル、樹高約25メートル。区内で一番の高さを誇る、美しいイチョウです。
 平成14年(2002)1月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩5-32-5

 十念寺は真言宗豊山派で巌松山無量寿院と号します。元和7年(1621)賢覚によって開山されました。本尊の木造阿弥陀如来立像は弘法大師の作とつたえられています。



◆銅造観音菩薩立像(江戸川区指定有形文化財・平成18年〔2006〕3月指定)
 銅造りのこの像は、本尊阿弥陀如来立像の左脇侍像(向かって右側)で、像高約34センチです。当初一光三尊の善光寺式阿弥陀三尊像の脇侍像として造立されたと考えられます。鎌倉時代後期作と推定されます。

◆板碑・元応元年(1319)12月日銘(江戸川区指定有形文化財、昭和57年〔1982〕2月指定)
 元応元年(1319)に作られた板碑です。十念寺旧本堂の縁の下から発見されました。



◆法印範盛筆子塚(江戸川区登録有形文化財、昭和62年〔1987〕2月登録)
 境内奥に当寺13世法印範盛の筆子塚があります。文久2年(1862)に入寂した範盛の徳を偲び、文久4年(1864)に建立されました。銘文には上小岩村、小岩田村、伊予田村、御番所町、中小岩村の人々の名が刻まれ、範盛が近郷の子弟たちの教育に力を注いだことがうかがわれます。

◆中小岩の庚申塔河原道石造道標(江戸川区登録有形文化財、昭和58年〔1983〕3月登録)



◆中小岩の庚申塔市川道石造道標(江戸川区登録有形文化財、昭和58年〔1983〕3月登録)
 ともに十念寺の大師堂内に安置されています。河原道石造道標は文化10年(1813)9月に建てられ「右両国江三り、左市川江三丁、左松戸
江一り、右河原江一り」と刻まれています。市川道石造道標は青面金剛像の右側面に「左いちかわみち」と刻まれています。



 平成20年(2008)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩8-23

 祭神は誉田別尊、相殿に倉稲魂尊をまつっています。壮健は不詳ですが、元禄8年(1695)の記録には神社の名がみられます。



◆地蔵菩薩像庚申塔(万治元年銘)
江戸川区登録有形民俗文化財
 この地蔵は、詩人として知られる北原白秋縁の三谷の地にあって、三谷地蔵として親しまれ、現在は境内右奥にある社務所の中に安置されています。銘文から、万治元年(1658)、庚申供養のために造立したことが知られます。庚申塔は、60日に1度めぐってくる庚申の日の夜に、眠っている人の体内から三尸という虫が天帝に罪過を告げ命を縮めるという中国の道教の教えに由来する庚申信仰の信者によって建てられました。
北原白秋の歌碑 
 昭和36年(1961)、地元の人びとによって建てられました。境内入口の右側にあります。
 昭和62年(1987)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区北小岩8-23 (八幡神社)


いつしかに 夏のあわれと なりにけり
     乾草小屋の 桃色の月


 明治から昭和にかけて高雅な詩や歌で有名な北原白秋(1885~1942)は、大正5年(1916-32歳の時)7月から約1年間、妻章子とともに、この小岩村字三谷の乾草商富田家の離れに居を構えました。ここを、「紫
烟草舎」(現在、市川市里見公園内に復元建設)と名付け、葛飾の風土や刃傷に見守られながら、短歌雑誌「煙草の花」を創刊したり、数多い短歌や詩、小品集などの素材を得ました。
 昭和36年(1961)、地元小岩町(現在の北小岩)の人びとは、白秋がこの江戸川べりの農村に住み、風物を愛したことをしのび、八幡神社の境内に彼の歌碑を建てました。
 平成14年(2002)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区東瑞江1-18 (豊田神社)


江戸川区登録有形文化財(民俗資料)
 下鎌田の富士塚

 富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。実際に富士山に登拝することの出来なかった人たちも、この富士塚を参拝すれば富士山に登ったと同じ霊験があると信じました。
 この下鎌田の富士塚は、大正5年(1916)、旧下鎌田村の下鎌田割菱八行講の人々によって築造されたと伝えられています。高さ約3メートルで、全石ボク石(溶岩)でおおわれ、正面には「ぐ」の字形の登山道がつくられ、中腹に石祠が祀られています。
 塚の背面は大沢崩れを模したような所があり、また中腹左には小御嶽神社の石祠があります。
 下鎌田割菱八行講は現在も盛んに活動し、7月1日の山開き、8月28日の火祭り、毎月の月並み祭りを行っています。
 昭和60年(1985)3月 江戸川区教育委員会


所在地 江戸川区江戸川6-45 (二之江神社) 

江戸川区登録天然記念物(植物)
  二之江神社のケヤキ
     昭和56年(1981)1月登録  

 境内のほとりを流れる親水河川古川が天正時代(1573~1592)の昔、行徳の塩を江戸に運ぶ水路として利用されたといいます。当時の面影をその年輪に刻み込むように、境内にケヤキの大木があります。樹齢500年ともいわれ、樹周160センチメートル、樹高20メートル余の区内屈指の巨木です。
  平成21年(2009)3月 江戸川区教育委員会



所在地 江戸川区西葛西2-1 (八幡神社)


八幡神社改修建設記念

相談役
  青山平八 石田銀一郎
建設委員長
  中川賴四郎
建設副委員長
  田中髙四郎 清水松芳 矢作健吉 田中文雄
  田中健一 小古間邦藏 梅沢善吉 川崎正清
  秋元金太郎 田中玉次郎 控井鈸太郎
会計
  石田兼吉 中川又五郎 佐久間久光 中川金五郎
会計監査
  中川五之助 中川金太郎 控井源藏 石田柳太郎
常任委員
  竹内鶴太郎 中川吉雄 小倉光司 鈴木康正
  石田藤藏 中川鎌次郎 中里吉嗣 植村六之助
     昭和三十七年十一月吉日


所在地 江戸川区西葛西2-1 (八幡神社)


  神輿山車新調記念
顧問
 神社総代 石田兼吉 
 神社総代 田中巳喜男
 神社総代 中里吉嗣
  青山平八 田中文雄 中川武雄 梅澤博
  中川吉雄 中川喜作 佐久間久光
発起人
 小島町会
  会長 矢作健吉
  副会長・子供会長 田中清
  副会長 川﨑勝巳
  会計 控井恵一 秋元利雄
  会計監査・神社係 小川和三郎 田中三男
  第一部長 梅原光男 第二部長 鈴木康正
  第三部長 田中喜一 第四部長 宇井英司
  第五部長 梅原清 第六部長 田中正雄
  第七部長 田中政雄
委員
  石田弘 控井和夫 中川金五郎 梅原長八郎
  秋元茂雄 関口金太郎 石塚哲央 矢島久光
  金井作次郎 仲摩忠晴 石王康之 中川正一
  根本英夫 森沢兼夫 矢島賴四郎 坂本俊吉
  田中義男 田中梅夫 水戸実 富永尚藏
  石田健 壷井秀藏           順不同敬称略
     昭和六十三年九月


所在地 江戸川区江戸川5-28

 稲荷神社 下今井香取神社摂社







 水神宮

 此ノ水神宮ハ寛政八年ニ再新造シマシタ時ハ稲荷神社旧本社デ其ノ後明治二十二年ニ修治ヲ加ヘ水神宮ヲ遷シマシタ。祀神ハ三神体ニテ水神宮、船玉神、金刀比羅神ヲ合祀シテアリマス 其ノ年代、間ニハ小修繕ガ行ワレテ居ル様デス 當事此ノ地ヲ武蔵國南葛飾郡下今井村字北新川ト呼ベリ

 


所在地 江戸川区江戸川5-31-6

 伍壱神社こいじんじゃ

 その昔この付近の川で、とても大きな鯉がとれました。その鯉を祀った神社です。その大きな鯉を盗んで食べた男が、激しい痛みとともに亡くなくなりました。人のものを盗んではいけない、悪いことをしてはいけない、といった伝説があります。


所在地 江戸川区松江1-4-4

真言宗豊山派
 薬王山 明王院 東善寺

 


所在地 江戸川区松島1 (小松川境川親水公園)

 水神宮

 


所在地 江戸川区中央4-25-18

 東小松川香取神社





 東小松川香取神社には『香取神社社殿竣工記念碑』、『葛西囃子之碑』があります。







 








所在地 江戸川区中央4-25-18 (東小松川香取神社)

 香取神社社殿竣工記念碑
 当香取神社の御祭神は経津主大神と申し、往古下総国一の宮香取神宮の御精霊を奉祀したことを以て当神社の創建とされる。爾来、旧東小松川村の上社鎮守として氏子より広く篤く尊崇を集め今日に至る。
 平成7年(1995)5月、神社役員・氏子有志よりなる「香取神社建設委員会」が発足し、先の失火により損傷した社殿の御造営工事が愈々着工の運びとなり、建設資金の奉賛活動も開始するに至った。
 平成7年(1995)8月7日地鎮祭を斎行し、その後社殿は計画通り荘厳に竣工、境内整備工事も終了し、平成8年(1996)8月8日遷座祭を斎行し御造営工事は■なく完工した。
 社殿御造営に当っては、広く氏子各位より賛同を得て浄財の奉納が寄せられ、これにより事業が完遂し、神社の尊厳は弥益し、誠に慶祝に耐えぬところである。此所に本記念碑を儲け、氏子一同の香取大神への敬神の至誠を記し、御神徳の光被を永く久しく仰がんとするものである。
 平成14年(2002)10月吉日
 香取神社宮司 秋元繁夫


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