東京都江戸川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 江戸川区江戸川6 新川は、かつて船堀川と呼ばれ、徳川家康の江戸入府とともに、行徳の塩を江戸に運ぶ「塩の道」として利用されるようになりました。 その後、ニの江村の字、三角渡し(現在の新川橋)から東側を新川口に向かって新たに開削し、全体が新川と呼ばれるようになりました。以来、東日本諸国からの様々な物資を江戸へ運ぶ重要な水路として発展し、地域の人々の生活に深く関わってきました。 区は、この歴史ある新川の整備に向けて”新川千本桜計画”を策定し、江戸情緒あふれる河川整備に合わせ両岸に千本の桜を植えていきます。 葛西地域では、新川千本桜に賛同した方々が「新川千本桜の会」を結成し、その尽力により、多くの皆様から多大なるご寄附をいただきました。 ここに、地域の熱き想いを記念碑に刻み、後世に語り継いでいきます。 平成21年(2009)3月吉日 江戸川区教育委員会 PR |
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永山
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