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東京都江戸川区の歴史
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所在地 江戸川区中央4-5-23



     香取神社の由来

 香取神社は別名を間々井神社と称し、棟礼によると、元和3年(1617)に再建されたご神徳の多い有難い神社です。
 その当時より、社の東に流れる小松川(親水公園)は、下総、国府台真間と武蔵江戸城を結ぶ重要な水路でありました。伝説によれば、長禄の頃、太田道灌持資は、国府台控城に往来の時、この神社に舟を泊め、境内の霊水を吸み、船路の安全を祈願したので間々井神社と称される様になったことを伝えています。
 当時は、当地に16軒の農家しかありませんでした。荒地を耕し苦労の末、切り開いたのです。その小松川16軒農家が当神社の創立をしたと言います。天正18年(1590)には徳川家康江戸入城となり、産物の販路も開け農民も豊かになりましたが、丙午年毎に襲う大洪水に(天明6年〔1786〕)人馬穀類共に大飢餓に遭遇した事が記されてあります。
 現在の本殿は文政5年(1823)今より約170年前、用材を仕入れ、五分一に住む宮大工八郎が十年の歳月を経て、天保3年(1832)に完成させた名建築物であります。



 明治6年(1873)には太政官より地租改正のお触れがあり、村民はそのお触れに従い土地調査事業に着手、村内の精密な地図を作成、武蔵国葛飾郡西小松川村全図が出来、初代知事により検認されました。
 その武蔵国葛飾郡西小松川村全図は、江戸川区有形文化財に指定され当神社に保存されて居ります。



 遠い長禄の時代より平成の今日迄、有難いご祭神のご神徳に感謝し、その霊験を戴き、信ずる人々の念願の達成をお祈り申し、合掌致します。
 平成元年(1990)6月吉日



 境内には『小松菜ゆかりの里碑』、『葛飾風物保存の碑』、『宮司 亀井悦造胸像』、『道祖神』、『稲荷神社』、『水神社』、『大雷神』、『鷲神社』、『鏝塚』があります。
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